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[書評]『消去』

リティ・パニュ、クリストフ・バタイユ 著 中村富美子 訳

西 浩孝

「記憶殺し」に抗して  

 もっとも非人間的な政治体制とは何だろうか。それは人間の善を法律で規定する体制である。そうなれば、もはやそこには「考える主体」は存在しなくなるからだ。

 1970年代後半、農民を主体とした社会の建設を夢見て極端な共産主義政策を実施し、その結果200万人近い自国民を虐殺や飢餓、病気などで死に追いやったクメール・ルージュ(カンボジア共産党)政権。彼らがつくりだしたのは、まさにそのような体制であった。

『消去――虐殺を逃れた映画作家が語るクメ-ル・ル-ジュの記憶――』(リティ・パニュ、クリストフ・バタイユ 著 中村富美子 訳、現代企画室) 定価:本体1850円+税『消去――虐殺を逃れた映画作家が語るクメ-ル・ル-ジュの記憶』(リティ・パニュ、クリストフ・バタイユ 著 中村富美子 訳、現代企画室) 定価:本体1850円+税
 始まりは1975年4月17日。クメール・ルージュが首都プノンペンを制圧した日からすべてが変わった。

 人びとは「旧人民」と「新人民」に分けられた。旧人民は、農民、労働者、〈革命の専門家〉。新人民は、資本家、大地主、公務員、中産階級、知識人、教師、学生、つまりはブルジョワ。奇妙なことに、クメール・ルージュは「憎むべき階級」に希望に満ちた名(新人民)を与えた。

 のちに虐殺されることになる者も虐殺者に善意を見ていた。翌年、新憲法が発布され、国名は「民主カンプチア」に変更された。

 この体制は1979年1月に崩壊を迎えるまで続くことになる。

 本書の著者、リティ・パニュは当時11歳。クメール・ルージュに魅了される時間も、説得される時間さえもなかった。

 あっという間に強制移動させられ、飢えに苦しめられ、離別させられ、拷問された。抵抗する術はなく、助けを求めることもできず、すべての権利を奪われた。そしてわずか6カ月のうちに家族を失った。速さがひとつの決定的な要因だった。

 社会生活、法律、知的活動、家族や恋愛、友人関係まで、すべてが絶対権力に委ねられるなか、彼に残されたのは義務(イデオロギー)だけだった。組織の中に溶け込むという義務に埋没し、暦も時計もなく、恐怖と飢餓に耐えた少年の4年間。

 のちに映画監督になった彼は、アラン・レネの『夜と霧』を見て驚く。「同じだった。それは他所で、私たちより前に起きたことだった。しかしそれは私たちだった」。

 リティ・パニュの代表作『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(2002年)は、元拷問官に当時の動作を繰り返させることで身体の奥に葬られていた記憶を呼び起こすドキュメンタリーだった。

 S21とは、クメール・ルージュ政権時代に、少なくとも1万5000人を凄惨極まる方法で拷問し、処刑場に送った政治犯収容所を指す。かつて高校だった場所が占領され、「再教育」に使われたのだ。

 いっぽう本書は作家・編集者のクリストフ・バタイユの協力を得てまとめられ、リティ・パニュの個人史をひとつの軸として、そこにS21の元所長ドッチとの対話が自在に挿入されるかたちで構成されている。

 ドッチは言う。「リティさん、クメール・ルージュとは消去です。人間には何の権利もありません」。

 リティは思う。「彼らはその純粋な思想で何を作り出したというのか。ひとつの純粋な犯罪、ではなかったろうか」。

 これらの犯罪の背後には、一握りの知識人がいる。ひとつの力強いイデオロギーが存在する。ひとつの隙のない組織がある。管理、つまりは秘密への強迫観念がある。個人というものに対する根本的な侮蔑がある。そして究極の手段としての死がある。

 そしてそれは、人間が計画したことだった。ドッチ「昼も夜も、死者たちとともにいた」。リティ「私もです。ただし、異なる側で」。

 ジャーナリズムの常套句に「今、なぜ○○なのか」というものがある。

 本書にもまた、そのような言葉が投げつけられても不思議はない。「今、なぜクメール・ルージュなのか」。言外には「もうそれは終わったことでしょう?」という冷淡がある。

 だが、記憶はひとつの道標であり続けなければならない。タイミングよく逃げた者たち、クメール・ルージュを免れた者たち、忘却した者たち、見たくないと思っている者たちに、リティ・パニュはみずからの作品を捧げる。彼らが見ることができるように。彼らが見るように。このようにしてリティ・パニュは「記憶殺し」に抗っている。

 「こうして30年経ってもまだ、クメール・ルージュは勝ち誇っている。死者は死者。彼らはこの地上から抹消されたのだ、と。彼らの墓碑は私たちだ。しかし別の墓碑もある。研究し、理解し、解明する仕事だ。それは悲しい情熱ではない。消去に対する闘いだ」

 「ナチのガス室は第二次世界大戦の一つの『細部』でしかなかったと主張するものがいるならば、すべての大規模犯罪はいつの日か、一つの『細部』とみなされうるだろう。だから私の闘いは、最も取るに足りない細部に入って行き、すべてを確かめることだ。一回、一〇回、一〇〇回でも」

 20世紀の悲劇を証言するリティ・パニュの仕事は、プリーモ・レーヴィの一連の作品やクロード・ランズマンの『ショア』にも並ぶ、歴史に刻まれるべきものだ。

 そして「加害者は黙らない。加害者は話す。休みなく話す。付け加え、消し、修正する。こうして一つの物語、すでに伝説となった物語、もう一つの現実を作り上げる。加害者は話の中に立てこもる」という本書の警句に触れるとき、それは日本とも無縁ではないことが理解されるだろう。

 「記憶殺し」に抗する仕事は、リティ・パニュただ一人に委ねられたものではない。「記憶殺し」は今まさに日本でも起こっている。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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