2014年11月11日
『柔らかい肌』(1964)は、妻子ある中年男と若い女の情事の顛末(てんまつ)を冷徹に描いた作品ゆえ、公開当時フランスでは不評を買い、興行成績もふるわず、カンヌ映画祭でもブーイングを浴び、ほとんどの批評家からも酷評された。
しかしながらこのフィルムは、トリュフォー映画のなかでも屈指の傑作だ。何よりトリュフォーが、敬愛するヒッチコックの影響をみごとに消化吸収し、血肉化し、片時もサスペンスが途切れぬ映画に仕上げた点に感嘆する(本作と、やはり大コケした『恋愛日記』とを、トリュフォーの“呪われた2大傑作”と呼びたい)。
本作の“ヒッチコック・タッチ”については追って述べるが、細かいカット割り・視線演出・時間の伸縮・小道具の活用などの点で、これほどヒッチコックの手法を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにした――模倣ではなく――フィルムは、映画史においても稀であろう(『柔らかい肌』の製作期間は、トリュフォーがあの記念碑的なヒッチコックへのインタビュー本、『映画術』をつくっていた時期と部分的に重なるが、この“ヒッチコック時代”のトリュフォー映画は、他にジャンヌ・モロー主演の傑作復讐譚『黒衣の花嫁』<1968>、J=P・ベルモンドとC・ドヌーブ主演の『暗くなるまでこの恋を』<1969>がある)。なお、以下ネタバレあり。
――44歳の著名な文芸評論家ラシュネー(ジャン・ドサイ)は、バルザックの専門家(!)で、38歳の魅力的な妻のフランカ(ネリー・ベネデッティ)、幼い娘と共にパリで暮らしている、ブルジョワの典型だ(ここでいうブルジョワとは、比較的裕福な中上流階級の、自分の仕事と平穏な家庭生活を最優先する保守的な人物のこと)。
しかし、ラシュネーはリスボンでの講演におもむく飛行機の中で22歳のスチュワーデスのニコル(フランソワーズ・ドルレアック)を見初め、ふたりはやがて恋仲になる。これまで不倫の経験など一度もない、不器用で優柔不断なラシュネーだったが、次第にニコルとの情事にのめり込んでいき、妻に電話で嘘をつき、パリでニコルに再会し、週末のランスでの講演に彼女を連れて行く。
そしてラシュネーは、離婚してニコルと暮らしたいと思う。だが、自由に執着するニコルは彼のもとを去る。いっぽう、妻フランカはラシュネーが撮ったニコルの写真を見つけ、夫の情事を知るが、悲しみと憎しみに苛まれた彼女は、レストランで昼食をとっている夫を猟銃で射殺する(この映画もまた、こうしたストーリーの要約だけではなぜ傑作なのかが、まったく伝わらないだろう)。
傑作が傑作であるための条件の一つとして、俳優が皆「はまり役」という点があげられようが、『柔らかい肌』においても然りだ。
ラシュネー役のジャン・ドサイ、ニコル役のフランソワーズ・ドルレアック、妻役のネリー・ベネデッティというキャスティングは、文句のつけようがない。
もっとも、トリュフォーは当初、ラシュネー役にフランソワ・ペリエを予定していたが、ペリエはスケジュールの都合で出演できず、やむを得ずジャン・ドサイを使い、しかもドサイは、本作の主人公の役柄が気に入らず、トリュフォーもドサイに満足できず、ふたりは撮影中もめっぱなしだったという。
たしかにジャン・ドサイは、観客が十分に好感をもてるタイプではない、いわば「きちんとしすぎた」感じのする役者だ。が、むしろそれゆえにこそドサイは、情事にふける小心者のブルジョワ文化人ラシュネーを、あれほどリアルに演じられたのではないか――。
ともあれトリュフォーは、この映画の着想を得た高名な弁護士の情痴殺人(「ジャクー事件」)に関する或る本の内容に触れて、こう言っている――「[その本の中では]社会的名声のある男が若い愛人を伴って地方講演に出かけ、人目を忍んで愛人と関係を結ばなければならないといった微妙な状況でどういう態度をとったかを克明に分析して描いた部分が非常に興味深かった」、と(前掲・山田宏一『フランソワ・トリュフォー映画読本』)。
さらにトリュフォーは次のように述べる――「[この映画では、]誰の人生にも起こりうるけれども彼[ラシュネー]の人生にだけは起こるはずがなかったことに初めて彼は遭遇することになる。[……そしてラシュネーは]不器用でへまなことばかりやらかす[……]。彼を招いてくれた相手(ダニエル・セカルディ)にはっきりと「女といっしょに来た」とは言えない男なのです。こうした男の不器用さ、ダメさかげんこそわたしの描きたかったところなのです。これが批評家にも一般の観客にもまったく気に入られず、映画はさんたんたる成績でした」(前掲『トリュフォーによるトリュフォー』)。
とりもなおさず、若い女と密会を重ねるのが、不器用で優柔不断でユーモアを欠いたラシュネーだからこそ、
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