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フランソワ・トリュフォー特集が到来!(10)――『柔らかい肌』の編集と視線演出におけるヒッチコックの影響

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 前回も述べたように、『柔らかい肌』は、ヒッチコックの強い影響下で撮られた映画だ。

 まず、開巻まもなくラシュネーが、リスボン行きの飛行機に乗るため慌ただしく家を出、車でオルリー空港に向かい、ぎりぎりのところで飛行機に乗り込むまでの、めくるめくスピーディーな展開が凄い。――そこでの、息せき切ったような細かいカット割り(編集)は、まさしくヒッチコック・タッチである(たとえば『サイコ』で、ジャネット・リーが会社のカネを盗んで車を走らせるシークエンスの、畳みかけるようなカット割りを思い出そう)。

 すなわち、こうした目まぐるしいカット割りによって――ラシュネーの主観/見た目の窓外ショットも挿入される効果もあって――、観客の気持ちはラシュネーの焦燥感に同化する。そして、編集=カット割りや主観ショットによって、観客の感情を操作し登場人物の感情に一体化させるこの手法こそ、ヒッチコック演出の大きな特徴のひとつだ。

 アネット・インスドーフも、ラシュネーが飛行機に乗るまでのシーンは、ヒッチコック的サスペンスの典型であると言い、「なぜなら[このくだりでは]彼[ラシュネー]が飛行機に間に合うかどうか、われわれも一緒にやきもきせざるを得なくなるからだ」、と述べる(前掲『フランソワ・トリュフォーの映画』)。

 さらにインスドーフは、くだんのシーンについて詳細にこう分析する――「編集(モンタージュ)は、緊張と加速をあらわすイメージを矢継ぎ早に繰り出すことでピエール[ラシュネー]のジグソーパズルのような世界を描き出す。ジャンプ・カット[カット間の断絶・飛躍]、「危険」と書かれた標識、ハンドルやクラクションに置かれた運転手の手のアップ、車内、アクセルを踏む足、それにフロントガラス(ピエール[ラシュネー]はフロントガラス越しに空港を見るが、まだ到着はできない)。車を降りて飛行機に向かう。やっと出発した彼を見て、われわれは安堵の溜息をもらす」(同前)。

 要するにそこでは、飛行機の出発時刻というタイム・リミットが設定され、それに向けて空港に急ぐラシュネーの姿が、細かいカット割りで描かれ、サスペンスフルな切迫感が生まれるのだ(このシークエンスでのカット割りは、ジャンプ・カットに端的なように時間を省略する効果があるが、のちに触れるように、本作の終盤では、時間を引きのばすサスペンスフルなカット割りも見られる)。

 トリュフォー自身は、『柔らかい肌』におけるヒッチコックの強い影響を認めたうえで、この作品の脚本執筆のさいに、ドイツのサイレント期の名匠、F・W・ムルナウの映画の脚本にも大きな影響を受けた、と語っている。

 トリュフォーは言う――「……ムルナウの映画の脚本家だったカール・マイヤーが『最後の人』(1924)や『サンライズ』(1927)の脚本を一カットごとに書いていることを知って、おどろき、心打たれました。たとえば、「雲間の月」「水たまりにはまる足」「めがねが落ちる」等々、イメージが一つ一つ分析され、脚本のなかですでに完璧なカット割りがなされているのです。そこでは、脚本家の仕事が、ストーリーを構成したり台詞を書きこんでシーンをつないでいくことではなく、イメージを一つ一つ克明に描いていくことにほかならない。で、わたしも『柔らかい肌』の脚本をそんなふうに分析的に書いてみようと思った。たとえば「……ラシュネーが見る」「(彼の見た目で)スチュワーデス[ニコル]がカーテンを引く」(……)といったぐあいに、一カット一行ずつ書いていってみたのです」(前掲・山田宏一『フランソワ・トリュフォー映画読本』)。

 実作者ならではの興味深い発言である。そして、一見こうした脚本設計は、即興を重んじたヌーヴェル・ヴァーグの行き方とは正反対の――かつてトリュフォーが批判した伝統的なフランス映画の――脚本至上主義への回帰と思われるかもしれぬが、それはまったく違う。

 なぜなら今みたように、トリュフォーがムルナウ映画に倣(なら)って書いた『柔らかい肌』の脚本は、映画のすべてを、心理説明的・心理主義的なプロットや演技設計とは真逆の、文字どおり<サイレント映画>式の視覚的で即物的なイメージで構成しようとするものだからだ。

 トリュフォーは触れていないが、これは実のところ、ワンカットずつ絵コンテを描いて撮影にのぞんだヒッチコックの姿勢にも、きわめて近い手法である(絵コンテ:各カットの画面構成を絵で示し、映像の流れをたどれるようにしたもの。「コンテ」は「コンテニュイティ/つなぎの略。なお『柔らかい肌』の脚本は、トリュフォーとジャン=ルイ・リシャールが共同執筆した)。

 ところで<視線の交わり/目が合うこと>は、恋愛映画の――とりわけ恋の始まりにおける――重要なポイントのひとつだが、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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