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[書評]『帝国の慰安婦』

朴裕河 著

奥 武則 法政大学教授

消去されたノイズに耳を澄ますことから  

  「慰安婦問題」を、いま考えるとき、必読の書である。

『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い』(朴裕河 著 朝日新聞出版) 定価:本体2100円+税拡大『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い』(朴裕河 著 朝日新聞出版) 定価:本体2100円+税
 2013年8月に出版された本書の韓国語版に対して、元「慰安婦」の名誉を毀損したとして、韓国の支援団体が出版差し止めと損害賠償などを求める民事提訴と刑事告訴を行ったという。

 一方、「慰安婦は公娼制度があった時代の戦地の売春婦」として支援団体らの主張を否定する日本の論者も本書に強い異論を持つはずだ。

 こうした日韓両国における「反応」は本書の独自な位相を雄弁に語る。

 「朝鮮人慰安婦」が日韓の国際的な紛争として問題化したのは1990年代である。

 韓国で元「慰安婦」を支援する団体が生まれ、日本に対する国家賠償を求めた。日本にもこれらの運動を支援して、日本政府の対応を批判する人々が声をあげた。

 一方、日韓のこうした動きに応じて、「慰安婦否定派」も声高にその主張を展開した。「朝鮮人慰安婦」は、こうした「政治」と「運動」の中で語られてきた。つまりは、それが「慰安婦問題」だった。

 著者は、「慰安婦問題」をこうした「政治」と「運動」の中での語りから解き放つことを試みる。その出発は《「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること》(日本語版への序文)だった。その結果、本書は「慰安婦問題」について「韓国の常識」「世界の常識」に異議申し立てをするものになった。

 中国をはじめアジア各地に膨大な数の兵隊を送り、「慰安婦」を必要とした日本軍がその募集や移動に関与したことは今日明らかである。しかし、著者は「日本軍に強制的に連行され、性奴隷とされた20万人の少女たち」という、韓国でそして世界で語られる「慰安婦問題」の理解が、「政治」や「運動」の中で形作られた〈公的な記憶〉であることを繰り返し指摘する。

 「慰安婦」の多くは、朝鮮の貧しい女性たちだった。彼女たちを戦場に連れていったのは、主に朝鮮人や日本人の業者だった。そこには経済的利益を求める「資本」の論理があった。ときに誘拐や挺身隊と偽っただましなどもあった。

 しかし、女性たちを犠牲にした家父長制の構造とともに、植民地朝鮮における、こうした経済的利益を求め、ときに悪辣な手段を弄した「介在者」の存在は、「慰安婦」をめぐる〈公的な記憶〉から消されてしまった。

 なぜだったのか。

 著者は、こうした〈公的な記憶〉の形成に、韓国の中心的な元慰安婦の支援組織である挺身隊問題対策協議会(挺対協)の運動が果たした大きな役割を指摘する。

 むろん、挺対協だけの「功績」ではない。挺対協と同じ認識を持つ韓国国民とメディアの支えによって、その運動は大きな力となったのである。そこには、「完璧な被害者」として「道徳的な優位性」を保持したいというナショナルな欲望があったという。

 「大日本帝国」は、1910年(実質的には1905年)、朝鮮を植民地とした。「帝国」に組み入れられた植民地・朝鮮の人々は「国民」として「帝国」の総力戦に動員された。

 「慰安婦」たちもそうした「国民」だった。兵士が「帝国」に動員され、「命」を提供する存在だったとしたら、「慰安婦」は「性」を提供する立場にあった。戦地の慰安所における兵士たちと「慰安婦」たちとの間は、一方が他方を抑圧する関係ではなかった。

 それゆえ、「帝国」の総動員体制の被害者同士として、戦地で「慰安婦」と兵士たちは、さまざまな関係を結ぶことができた。兵士たちにとって、ときに「朝鮮人慰安婦」は「日本」を代替して彼らをまさに「慰安」してくれる存在だった。

 しかし、〈公的な記憶〉はこれらをノイズとして消去してしまった。著者は「慰安婦」が登場するいくつかの文学作品(そこには、「政治の言葉」「運動の言葉」によって歪まされていない「慰安婦」の姿がある)を参照して、そのノイズを聞き取るべく耳を傾け、「慰安婦」をめぐる多様な語りを提示する。文学研究者ならではの着目といっていい。

 繰り返して言えば、ことの発端は「大日本帝国」による朝鮮の植民地化にある。「慰安婦」たちが強いられたすべての苦痛の根源がここにある。

 この点での著者に認識にはくもりはない。「慰安婦は公娼制度があった時代の戦地の売春婦」として「慰安婦問題」そのもの存在を否定する立場にはない。「慰安婦問題」に関して、まっとうな「謝罪意識」を持った日本人の広汎な存在にも言及する。「アジア女性基金」による「償い金」の支払いは、そうした人々に支えられたものでもあった。 

 「慰安婦問題」が浮上してすでに20年余り。この間、さまざまな事実が明らかになった。「強制連行」があったのか、なかったか。拉致された少女たちだったのか、自発的な「売春婦」だったのか。

 こうした論争はもう重要ではないのだと著者はいう。「帝国」によって「性」を商品化された元「慰安婦」たちを、いま・ここで、どう慰安するのかが日韓両国の政府と国民に問われているのである。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

奥 武則

奥 武則(おく・たけのり) 法政大学教授

新聞記者歴33年ののち大学教師。新聞社では学芸部が長かった。最後はシコシコと朝刊1面のコラムを書いていた。大学では「ジャーナリズムの歴史と思想」という授業が主担当。自己認識としては「日本近代史研究者」のはしくれのつもりだが、立場上、「マスコミ問題」だの「取材文章実習」といった授業もやる。著書に『論壇の戦後史 1945-1970』(平凡社新書)、『露探―日露戦争期のメディアと国民意識―』(中央公論新社)など。