2014年11月14日
その本質が博奕である資本主義の世界に、勝利の方程式なんてあるわけがない。
ビル・ゲイツやスティーヴ・ジョブズの自伝や成功譚をいくら読んでも、あなたは彼らのように成功しない。成功のヒントともならない。
当たり前である。あなたは、ビル・ゲイツやスティーヴ・ジョブズではないのだから。
成功の秘訣は個別だ。
しかし敗北にはなぜか方程式がある。こうすれば必ず負けるという普遍化しうる法則である。
すなわち資本主義にも博奕にも「必勝法」は存在し得ないのだが、おかしな言い方かもしれないが、「必敗法」は確実に存在している。
その「必敗法」を学ぶ。
「必敗法」が教えるすべての罠を排除して、戦法を定める。
本格的な戦闘は、そこから始まる。それまでは、悪い流れの時には、撤退・退却を繰り返す。
毛沢東の「長征」である。
――愚者は他人の成功から学ぼうとし、賢者は自らの失敗から学ぶ。
個的な体験を自覚化する。
他人の言うことなど、信じるな。
自分が喫した敗北を、自力で解体しじっくりと検証してみろ。
この場合、自力という部分が重要である。
自力更生刻苦奮闘。
「長征」の経験から学習した毛沢東の言葉だった。
自らの敗北を解体し検証することが、バカにはできない。
頭の悪い奴らは、成功した人の(存在し得ない)普遍法則を追い求める。
その方が簡単だし、痛みを感じなくて済むからなのだろう。
それゆえ、勝てない。だらだらと負け続ける。
もちろん、勝たなくてもいい、と考える人たちは、それはそれでまた一局。でも、もしそうであるなら「合意の略奪闘争」なんて場には足を踏み入れないほうがよろしかろう。
自力で自らの体験を検証し自覚化し獲得したものを、わたしは「思想」と呼んでいる。
「博奕に強い人」とは、負け方を知っている人たちのことである。
換言すれば、自らの敗北を自覚化できた者たちのことだ。すなわち、思想とした。それゆえ強い。
NO RISK, NO GLORY.
すこし話が飛んでしまうのだが、ギャンブルの世界では、「攻略法」とか「必勝法」とかの本が売られている。売れ行きも、それなりにいいらしい。
日本でカジノが合法化されたら、この類(たぐい)の本が数多く出版されることになるのだろう。またネットで情報が売られる。
ミもフタもない言い方となって申し訳ないが、それらの「攻略法」とか「必勝法」のほとんどは、詐欺ないし、限りなく詐欺に近い種類のものであると考えてくださればよろしかろう。
なぜか?
「攻略法」とか「必勝法」とかは、まず間違いなくその著者の決して存在しなかった成功物語を普遍化しようとする試みなのだから。
あんなものを買い、信じるのは、五濁無仏の迷いの苦海で自ら好んで溺死を望んでいるようなものである、とわたしは考える。
博奕を打つ前から、すでに敗者(ルーザー)。
それは簡単に論証可能だ。
賭博における「攻略法」だの「必勝法」だのを、もしその著者が本当に知っていたとするなら、それを誰にも教えたりしないからである。
大手カジノの勝負卓に張られたグリーンの羅紗(ラシャ)の下には、ほとんど無尽蔵にお金が埋められてある。10億円でも100億円でもある。
著者は、「攻略法」なり「必勝法」なりを駆使して、自分でそれを掘り起こせばいい。ここ掘れ、ワンワン。
1部売れてたかだか120円あたりの印税で、なんで他人に教えにゃならんのじゃ。
「攻略法」なり「必勝法」の版元の会社に、時給1050円のアルバイト社員がどうして存在するのか、自力で考えてみなさい。
その本で教えることを実践して、大金が得られるのであれば、時給1050円のアルバイトなどする奴はおるまい。
もちろん資本主義社会においても、ゲーム賭博の世界においても、確率論や戦略論は重要だ。セオリーを知らずに勝利は、まず望めない。
ただし、セオリーを遵守しているだけでも、やはり負けてしまう。
どこかでそれらを断ち切り、眼を瞑って、エイヤアと飛ぶ勇気が必要となる。
つまり、見切りだ。見切りは、敗北の体験のつらい自覚化から生まれてくる。
見切りが不充分なら、勝負に勝てない。
高度資本主義社会と同様に、ゲーム賭博の世界では、リスクを冒さないことが最大のリスクとなる。
すなわち、
――No Risk, No Glory.
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