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[書評]『戦後韓国と日本文化』

金成玟 著

野上暁 編集者

「鉄腕アトム」は韓国製? 屈曲するサブカル受容史の謎解き  

 いまや韓国は日本のマンガやアニメの大得意先である。日本の人気マンガの大部分は、正式に版権契約され、韓国語に翻訳されて出版されている。アニメにしても同様だ。しかし、そうなってから、わずか四半世紀しか経っていない。それまでは、厳しく移入が禁止されていた。

 1988年の春、ソウル五輪の直前、マンガ・ルポの取材で、少女マンガ家とソウルに行ったとき、現地の出版社が現地の少女マンガ家との会食をセッティングしてくれた。84年に、ソウルに行ったときは、日本風のマンガなど全く無くて、書店にはアメコミがある程度だった。

『戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで』(金成玟 著、岩波書店) 定価:本体2200円+税『戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで』(金成玟 著、岩波書店) 定価:本体2200円+税

 ところがその4年後、会食した少女マンガ家は、「キャンディ・キャンディ」類似の作品を、月に170枚も描く超多忙な作家だと知ってびっくりした。
好きなマンガ家として、里中満智子や、いがらしゆみこの名前を挙げていたが、いずれも正式に翻訳出版されていない。それどころか、日本のマンガは厳しく禁止されていたのだ。にもかかわらず、日本のマンガは隠れた読者を大量に醸成し、その影響を受けた人気マンガ家がすでに誕生していたのだ。

 90年代に入って、「ドラえもん」の学習マンガシリーズを正式契約した出版社を訪れたとき、盆踊りや提灯や神社の鳥居などは省いてほしいと言われた。

 なるほど、日本の植民地時代に強制された神社崇拝の苦い思いが忌避させるのだろうと納得。しかし、そこにも韓国独立以降の様々なメカニズムが深く作用していたことを、この本から知らされた。

 著者は1976年、ソウルに生まれ、テレビアニメの「鉄腕アトム」を、韓国語の主題歌とともに「宇宙少年アトム」というタイトルで見て育ち、それが日本製だと知ったのは90年代になってからだ、と述べている。

 そのような体験が、日本の大衆文化が、政治状況の変化の中で禁止の網の目をくぐり抜けながら巧妙に受容されてきた歴史を、冷静に分析する本書につながったのだろう。

 独立以降の日本との文化的な関係は、「倭色一掃」による文化的脱植民地化であった。しかし、日本と距離的に近い釜山では、日本のラジオ放送が受信可能だったから、植民地時代に日本語教育させられた世代は、「電波越境」して聞くことができた。

 そこで、日本のラジオが国民の精神生活に悪影響を及ぼすことを懸念し、日本からの電波を牽制するため、釜山MBCが設立されたのだという。釜山の放送人たちは、日本のラジオ放送を聴くことを日課とし、そこでの電波越境が放送の様々な領域に影響を与えた。テレビ時代が本格化してからも、日本の放送の釜山での視聴体験とその内容が模倣されることによって、韓国の放送全体に多大な影響を及ぼしたともいう。

 韓国のテレビ放送が本格的に始まったのは、5・16軍事クーデターにより政権を握った朴正熙が、1961年12月24日にKBSを設立して以降。日本からの電波越境はラジオよりも絶大で、釜山ではテレビの日本ブームが巻き起こる。釜山の電波越境はソウルへも、日本の放送の模倣や剽窃として二次越境するのだ。

 60年~80年代の軍事独裁期における韓国のテレビ放送は、65年の日韓国交正常化前後に構築された「日本大衆文化禁止」のメカニズムを最も顕著にあらわす、と著者はいう。

 禁止といいながらも法的に排除するのではなく、歪曲することで否認するというわけだ。ではなぜ禁止するのか? その理由を、(1)民族アイデンティティ、(2)反日国民感情、(3)子ども・青少年保護、(4)文化産業保護、の4点に著者はまとめる。

 禁止をかいくぐって移入するために、作品の背景や主人公の名前を変えることで「倭色」を排除する。作品の「国籍変更」を行う。「タイガーマスク」も「マジンガーZ」も、最初は「アメリカ産の空想科学マンガ映画」として紹介され、高く評価された。しかしそれが後に日本製だと判ると、「倭色の低質文化」の代表のように糾弾される。

 70年代、現地の作家名で発表された日本のマンガとして、「バビル2世」(横山光輝)、「ガラスの城」(わたなべまさこ)、「荒野の少年イサム」(原作・山川惣治/作画・川崎のぼる)「ダイモス」(横山光輝)、「1・2・3と4・5・6」(ちばてつや)、「人形の墓」(美内すずえ)、「シャネルNo.5」(わたなべまさこ)、「銀色の髪の亜里沙」(和田慎二)などを著者は上げている。すべて海賊版だが、作者を韓国人名にして日本製であることを隠蔽したのだ。

 ビデオの普及と海賊版の移入は、また新たな問題を引き起こす。ソウル市の小学校の運動会で、応援歌に1人の子どもが「マジンガーZ」の唄を歌いだすと、それに合わせて大勢の子どもたちが日本語で主題歌を大合唱。日本の歌が禁止されていたから、親や教師は唖然とする。多くの子どもたちが、日本語の歌詞を暗誦するまでに海賊版ビデオを見ていたのだ。1981年のことである。

 1988年のソウル五輪の前後から、著作権に対する認識が高まる。韓国政府は87年10月、ついに万国著作権条約に加盟した。また、この頃から日本のサブカル禁止も緩やかに変容してくる。そして89年、「三国志」と「北斗の拳」が、初めて版権契約を結んで出版される。日本のマンガやマンガ雑誌が正式に開放されるのは、98年になってからだ。

 その前後から中国で起こった「韓流」ブームは日本にも波及し、それまで日本の大衆文化消費国に過ぎなかった韓国を、文化生産国にせり上がらせる。そこから、大衆文化に対する新たな眼差しや戦略が急浮上する。

 開放が実施された98年から今日に至るまでの日韓関係の劇的変化が示しているように、戦後秩序の下ですでに内在化してしまった様々な「抑圧」とまともに向き合うことなしに、それを超克することは不可能だろうと著者はいう。21世紀に入り、過去にない親近感を覚えたにもかかわらず、それがすぐに嫌悪感に変わる今日の日韓関係を、どう理解したらいいのかとも。

 日韓の文化的現在を見据えた大変な労作であり、示唆されることが多々ある。ただし、章立てや目次構成にもう一工夫が欲しかった。「日本大衆文化禁止」が、目次だけで7か所も頻出するのはいささか稚拙ではないか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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