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役割を終えた映画祭「東京フィルメックス」

東京国際映画祭との統合が「国益」だ

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 映画祭「東京フィルメックス」が今年も11月22日から30日まで開催された。2000年に始まったこの映画祭も今年で15回目。これを機会に改めてその意義を考えたい。長い間、フィルメックスは東京国際映画祭に比べて評価の高い映画祭だったが、現在においてはもはやその役割を終えたのではないかという気がするからだ。

 この映画祭が始まった当初、東京国際映画祭のほうは本当にひどかった。

 1985年にできたこの映画祭は、長い間コンペなどの上映作品をディレクターが選ぶという制度ができておらず、邦画大手映画会社から派遣されたスタッフが集まる「作品部」がセレクションを担当していた。いささか大雑把に言うと、邦画各社や米メジャーの日本各支社の都合を調整して作品を選んでいた。

 東京国際のコンペでディレクターという名称が使われたのは2003年の吉田佳代氏から。彼女はアスミック・エースの社員だったから、自由な選択は許されなかった。コンペのディレクターに映画会社以外からの人材が据えられたのは、2007年の矢田部吉彦氏からのことだ。

東京フィルメックスの会場=撮影・筆者東京フィルメックスの会場=撮影・筆者
 それに比べると、フィルメックスは2001年の第1回から市山尚三氏がディレクターとして自由に作品を選んでいて、その差は歴然だった。

 市山氏はもともと東京国際で松竹からの派遣で「アジアの風」部門(後に地域を問わない「シネマプリズム」に拡大)を担当していた。その部門は東京国際で唯一セレクションに国際的センスや映画的良心が感じられるもので、映画ファンがつめかけた。

 だから、フィルメックスの優位は明らかだった。

 さらに翌年からは市山氏はプログラミング・ディレクターとなり、ディレクターとして林加奈子氏が加わった。彼女はかつて川喜多記念映画文化財団で日本映画の海外上映を担当しており、各国の映画祭関係者と強い人脈があった。

 林氏が加わったことで、清水宏や岡本喜八などの海外であまり知られていない日本映画の巨匠作品を英語字幕付きで上映するセクションもできた。

 これはベルリンや香港などの映画祭を巡回し、日本映画の海外紹介に大きな役割を果たした。このような回顧上映は外国の映画祭が重視することだが、フィルメックスは見事にその日本版を実現した。

 つまり、東京国際を辞めた市山氏と川喜多財団を辞めた林氏の、ある種のリベンジだった。そしてそれは

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