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フランソワ・トリュフォー特集が到来!(13)

『恋愛日記』の卓抜な作劇・<声/語り>の仕掛けについて

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回述べるのは『恋愛日記』の絶妙な作劇、および<語り>の演出についてである。

 トリュフォーは、ベルトランの女性遍歴の物語が単調にならぬよう、さまざまな作劇上の工夫をこらしている。

 たとえば、ベルトランのナンパとて百発百中ではなく、ランジェリー・ショップの41歳の経営者、エレーヌ/ジュヌヴィエーヴ・フォンタネルは、自分は若い男しか愛せないと言って彼を拒絶し、モーニング・コールの美声しか彼が知らぬ電話交換嬢も彼の誘いに乗らない。あるいは、序盤でベルトランが知り合うチャーミングなマルチーヌ(ナタリー・バイ)は、彼の好みのタイプではないので彼は彼女を口説こうとしない。

 こうしたひねりの利いた――観客の意表をつく――展開も、物語に味のあるメリハリをつけている。

 トリュフォーはさらに、ベルトランが女たちと関係する各エピソードをただ並列するのではなく、それらが連鎖反応を起こしてドラマチックな物語を描き出すよう腐心している。

フランソワ・トリュフォー拡大アントワーヌ・ド・ベック、セルジュ・トゥビアナ『フランソワ・トリュフォー』 (原書房)
 そうした作劇において、最も効果的な縦糸となるのが、後述するベルトランの小説執筆という<書物>のテーマである(アントワーヌ・ド・ベックとセルジュ・トゥビアナは前掲書『フランソワ・トリュフォー』で、おそらく『恋愛日記』の脚本はトリュフォー作品の中で最も見事に書かれたものの一つだと述べている。なお本作の脚本は、トリュフォー、例のミシェル・フェルモー、そしてシュザンヌ・シフマンが共同執筆した)。

 トリュフォーはまた、ベルトランの人物像や彼の漁色のみに焦点を当てるのではなく、女たちの一人ひとりを、彼にとって<かけがえのない存在>として入念に描く(女好きのベルトランは、同時にまた、「女性を大切に扱う男性」という意味での<フェミニスト>でもある)。

 つまりベルトランが関わる女たちは、彼の漁色の標的/客体である以上に、自立した人格を持つ主体として描かれるのであって、その点にも『恋愛日記』の味わい深さがある(すでに述べたとおり、ベルトランは変質者ではさらさらなく、女たちへのデリケートな共感能力をもつ男だ)。

 なかでも、若い男としか付き合いたくないと言ってベルトランを拒絶するエレーヌは、編集者ジュヌヴィエーヴ同様、ベルトランの人生に少なからぬ影響を与える女だ。

 エレーヌはベルトランにこう言う――「時は残酷なものよ。女の顔はボクサーのようにひどく傷みやすいの。私は抵抗してるの。恋だけは忘れたくないのよ[だから若い男と寝たいの]」。

 このアフォリスム(箴言)めいた言葉を含むセリフを口にしたあと、エレーヌは

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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