受け取られないビラ、無視される政治
2014年12月16日
「よく、もったなあ」
クルマに乗り、シートを倒し横になると、元総理大臣・菅直人は言った。「もった」とは自分の体力が、ということだ。
12月13日土曜日、選挙戦最終日、公表されていた日程での街頭演説は吉祥寺駅北口で夜8時に終わった。拡声器を使えるのはこの時刻までだ。
しかし、選挙運動そのものは深夜12時まで可能だ。菅直人は演説を終えると、演説を聞いていた支持者の輪の中に入り、握手をしてまわる。
吉祥寺駅北口での演説まではマスコミが追いかけていた。このときだけではない。私がビラ配りの手伝いをしているときはいつもマスコミがいた。多分、開票速報番組の中で「元総理はなぜ落選したか」とでも題するコーナーを作るのだろう。
そのマスコミも警備のSPも、吉祥寺での演説が終わり、菅直人がクルマに乗ると帰ってしまった。
だが菅直人の選挙運動は終わらなかった。武蔵小金井駅に向かったのだ。私は菅直人のクルマには同乗せず、JRで向かった。
そして、8時半を過ぎた頃から、菅直人の本当の「最後のお訴え」が始まった。拡声器は使えないので、肉声だ。地元の市議会議員などとともに武蔵小金井駅南口に立ち、手を振り、握手を求め、ビラを配る。私もそのビラ配りを手伝った。
元総理大臣なので、顔は知られている。有名人である。若者や女性たちが寄ってきて、一緒に写真を撮らせてくれとなる。菅直人は笑顔で応じる。誰もがケータイやスマホを持っているので、写真は簡単だ。
20メートルくらい先に、こっちを見ている人がいると、菅直人は駆け寄る。スタッフがビラを持って追い駆ける。ひとりだけ付いていたSPも追い駆ける。しかし、追い付かない。68歳のわりには元気だ。機敏に動く。自分への視線を感じると、その方へダッシュするのを何度も繰り返す。
そして10時を過ぎた。改札を出てくる人の数も9時頃に比べると少なくなる。はじめから10時までと決めていたので、終えることになった。ビラは、ほぼなくなった。まききったのである。
マスコミも知らない、菅直人の本当の「最後のお訴え」はこうして終わった。
最後までつきあった運動員と握手をして、菅直人はクルマに乗り込んだ。「おう、どうする」と声をかけられたので、私も同乗した。運転手の隣の助手席にはSPが座る。うしろの座席に、菅直人とその長男で秘書をしている菅源太郎、そして私が乗った。
「私邸までお願いします」と源太郎が言う。総理大臣在任中は「公邸」で暮らし、なおかつ私邸は私邸であったが、いまは私邸しかないはずなのに、面白いなと思ったが、ようするに、選挙事務所には向かわずに自宅へ帰る、ということだ。
夕食がまだだった。自宅で妻の菅伸子が用意しているという。彼女はこの日は菅直人とは別行動で遊説してまわり、吉祥寺駅北口で最後に一緒になった。それを終えると三鷹駅近くの自宅へ戻っていたのだ。
そのクルマでの第一声が「よく、もったなあ」だった。
自宅へ戻ると、夕食の用意ができていた。菅直人、伸子、源太郎、そして私の4人で、食事をした。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください