意思と体力、人間の営みとしての選挙のリアル
2014年12月17日
朝、駅前でビラを配っているとき、私は菅直人からは10メートルくらい離れたところにいた。
菅直人は白いダウンジャケットを着て、駅前に立ち、手をふり、応じてくれる人には握手をしている。週刊誌ふうに書けば、「元総理ともあろうものが寒空の下に立ち、道行く人のほとんどに無視されていながら、手を振っている」となる。これが実態だ。
厳しいなあ、寒いなあ、と思いながら、私は「おはようございます」「菅直人です」「いまそこに、本人が来ています」と言って、道行く人にビラを差し出す。
たまに、「がんばって」と言って受け取ってくれる人がいると、本当に、単純に嬉しい。こういうのをやると、街を歩いていてティッシュやらチラシを配っているのとぶつかると、たいがいもらってしまう。
そのうち、私からは受け取らなくても、その先にいる菅直人当人からは受け取る人がいるのに気づいた。
ようするに、選挙は、本人がどれだけ多く直接、有権者に接せられるかなのだ。
政策とか、政権交代とかの「大きな物語」で投票するかどうかを決める人もいるが、それはむしろ、少数派だ。「会ったことがある」「握手した」「写真を撮った」――そんな積み重ねが勝敗を分ける。それが、選挙のリアルなのだ。
菅直人は初当選時から総理大臣になるまではマスコミも好意的だった。
浮き沈みはあったが、基本的には追い風に乗っていた。東京の多摩区という選挙区は戦後になって住宅地として発展した地域なので、農村的な濃い人間関係がなく、自分の意思で投票する人が多い。
そういう浮動層・無党派層が多い地域だったので、マスコミが好意的に報じる菅直人は、選挙でも優位だった。
しかし、それだけではない。無党派層という組織化されていない人々によってのみ、支えられていたわけではない。もしそうだったら、小泉チルドレンや小沢チルドレンのように2期目は落選しているだろう。
12回も当選を重ねられるのは、「リアル」を忘れていないからだ。マスコミで華やかに報じられるのと並行して、地道に支持者名簿を作り、固めていく作業もしていた。
遊説も怠らない。選挙のリアルをよく知っていたからだ。初当選するまでの3度の落選や、多くの地方議員、国会議員の選挙を仕切ったり応援に入ったりした経験から、たとえ総理大臣にまでなったとしても、選挙のリアルを知っていた。何をしなければならないか、何をすればいいか。
今回も前回も、菅直人はマスコミに言われなくても、いわば動物的カンでこの選挙は危ないと感じたのだろう。
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