鈴木京一(すずき・きょういち) 朝日新聞文化くらし編集部ラジオ・テレビ担当部長
1963年生まれ。東京大学教養学部卒。1987年、朝日新聞社入社。東京と大阪の旧学芸部や文化グループで、主に論壇関係の取材記者や編集者をしてきた。女性アイドルのライブ見物が20年来の趣味。好物は「ハロー!プロジェクト」。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
崩れ落ちる道重さゆみに、「巨人の星」を見た
アイドルは音楽ジャンルの一つとして、すっかり定着した。
私はこの1年でアイドルだけで日本武道館に7回、横浜アリーナに3回行った。
週末ともなれば、都内のあちこちのライブハウスでイベントが開かれる。入場料は2~3000円前後、数十組が10~15分単位で交代で登場する。カラオケだから転換は早い。
アイドルもオタクも、一日で複数のイベントをかけもちする。これまでなら、ロックなどほかのジャンルに行っていた「歌いたい女子」がアイドルを志しているようだ。
だから音楽もメタル、パンクなど様々、「暴動系」「中二病ユニット」などと名乗るグループもある。客席ではオタ芸とモッシュやツーステップが一緒に展開されることもある。
1)モーニング娘。'14(11月26日、横浜アリーナ)
2)BiS(7月8日、横浜アリーナ)
3)@JAM EXPO(8月31日、横浜アリーナ)
4)THEポッシボー(11月16日、中野サンプラザ)
5)LILIUM~リリウム 少女純潔歌劇(6月5日、サンシャイン劇場)
1)ステージ上で崩れ落ちる道重さゆみを見ながら、「巨人の星」の結末を連想していた。道重は「カワイイ」に殉じたのではないか。
モーニング娘に歴代最長の12年間在籍した道重さゆみの卒業コンサート。異変は開演1時間後に起きた。
道重の足がつって動けなくなったのだ。ブーツからスニーカーに履き替え、一度は回復したかに見えたが、その後も何度か立てなくなり、「(照明を)暗くしてください」と求める場面もあった。
道重を「カワイイのアスリート」と呼んだのは、ハロオタを描いたコミックエッセーを手がける劔樹人だ。
確かに卒業直前の道重のかわいさは妖艶の域にまで達していた。モーニング娘は週末ごとに昼夜2公演のコンサートがあり、この数年はダンスが激しくなっていた。
かわいさを維持しながら、これらの仕事をこなすのは容易ではないだろう。以前から道重は雑誌インタビューで「身体が痛い」などともらしつつ、「モーニング娘のためなら寿命が縮んでもいい」と言っていた。
腕に負担がかかるのを承知で大リーグボール3号を投げ続けた星飛雄馬のように、道重は「カワイイ」に殉じたのではないか。卒業後、道重は無期限休養を続けている。芸能界には戻ってこないように思えてならない。
一方、コンサートでは後輩たちが成長を見せた。道重が動けなくなったのは、10分以上に及ぶメドレーの序盤で、離れたステージに全員が移動する場面。
メンバーには迷いがあったと思うが、道重を残して全員が移動した。後輩たちを遠くから見守る道重、という演出だと思っていたのは私だけではなかったようだ。
さらに道重と新リーダー譜久村聖(ふくむら・みずき)のデュエット曲の直前、譜久村はきびすを返して道重の元に駆け戻った。
先日、譜久村にこのときのことを聞けたのだが、スタッフからの指示は届かず、いずれもメンバー自身の(しかも互いに会話できない中での)判断だったという。道重が自分の身を賭して後輩に与えた試練だったようにも見えた。
2)全裸PVやメンバー同士の対立を煽るなど「お騒がせ」で知られたグループの解散コンサート。
それまで、最大で1000人規模の会場でしかやってこなかったのが、1万人以上入る会場での公演。2000円の「貧乏人向けチケット」を出すなどしていたものの、果たして埋まるのか、と思っていたのだが、埋まっていた。
会場前にはファンの手により、メンバーの「遺影」を掲げた献花台が置かれた。
幕開け、マネジャーとプロデューサーの男2人がなぜか「We Will Rock You」を歌唱。またぐだぐだな展開なのか……と思ったら、本編はMCなし、3分の休憩を挟んで3時間余、48曲を歌い続けるという「歌を聞かせる」展開だった。もともと曲はいいグループなので、やればできるじゃないか、と思った。
終盤、サークルモッシュが起きる曲になると、客席の周回通路を客が走り回った。4年足らずの活動期間だったが、後世に語り継がれるアイドルだったと思う。
3)100組が参加したイベント。
会場の使い方が面白かった。
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