書物をつくること、書物の「底力」
2014年12月27日
2011年3月11日、東北地方に未曾有の被害を与えた東日本大震災により、わが国の出版用紙の約4割を担う日本製紙の、主力工場である石巻工場は、壊滅的な被害を蒙った。
その石巻工場が、リーダーの不退転の決意と全従業員の不屈の闘志によって、驚くべきスピードで復興、半年後遂に工場を再稼働させるまでの道のりを描いたのが、『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている――再生・日本製紙石巻工場』(佐々涼子著、早川書房)である。
だが、ぼくがこの本をベスト5に選びたいと思うのは、石巻工場の人々の「紙つなげ!」というメッセージが、強烈にぼくの胸の奥底にまで届いたからだ。
「紙をつなぐ」とは、パルプがメッシュのワイヤーの上に勢いよく吹き付けられてから、最後のリールに巻きつくまでの、製紙工程の一連の作業を言う。
だが、ぼくの中で、「紙つなげ!」というメッセージは、彼らがつないだ紙が出版社に送られてつくられた本を全国の読者に届けよ、そして「紙の本」を未来へつなげよ、というメッセージへと時空間の両軸において広がっていったのである。
出版用紙はその書物の性格に応じて極めて多様である。そこに「本をつくる」人びとの工夫とこだわりがある。
製紙会社の職人が丹精をこめて紙を抄き、編集者が磨いた作品は、紙を知り尽くした印刷会社によって印刷される。そして、装幀家が意匠をほどこし、書店に並ぶ。多くの人々のこだわりと思い入れの籠った書物は、単一の画面にコンテンツが入れ替わり立ち代わり仮住まいする電子書籍とは、やはり別物であると確信した。
本のかけがえの無い素材である紙を、更にその源へ遡り、生命連鎖の円環的な時間を樹木がしるした年輪こそ書物の原初と唱えるのが、『書物変身譚 琥珀のアーカイヴ』(新潮社)の今福龍太である。
書物の長い長い歴史は、人類が誕生する遥か以前に羽虫を閉じ込めた琥珀(=鉱物化した樹液)から始まる、と今福は言う。そして、書物がかぎりない変身能力を宿し、歴史を通じてそのことを表現し続けてきたことを、追跡していく。
書物を生み出す主体は、決して人間ではない。変身する能力と遺志を持つのは、書物そのものなのだ。『ウォールデン 森の生活』は、まさに植物の書物への変身をソローが媒介したに過ぎない。
ジョン・ケージはそのソローを受け、キノコだけでなくすべての音を収集する。本の裏側に姿を隠そうとしたソンダク、そしてロラン・バルトの日記は、彼らの死後書物へと姿を変え、カフカの中長編の殆どは、死後出版されたものである。
ナボコフは「本のなかの〈私〉は本のなかでは死なない」と書き、レヴィ=ストロースは「私が自分の本を書くのだと言う感じを持たない」と語った。
樹木じしんの変身の軌跡が書物の歴史ならば、紙の身体をまとわず、電子ディスプレイ上に次々に入れ替わるコンテンツの集積である電子書籍は、その末裔とは言い難い。
“それらのページは、翼となって私たちの精神を解き放ち、扇となって埋もれ火を掻き立て、私たちにふたたび情熱を見出させてくれるのです。"
紙の身体をまとった書物を語るこの美しい表現だけでも、ぼくは『ハムレットの大学』(岡山茂著、新評論)を、今年度のベスト5に選ぶ。そして、そうした書物に出遭うことの出来る場所こそ、大学の名に相応しい。
ところが、欧米諸国でも日本でも、いまや大学は「グローバル企業」の下請け機関となることによって、命脈を保とうとしている。今本当に求められているのは、「グローバリゼーション」にふさわしい大学ではなく、「グローバリゼーション」そのものを問い直すことのできる、デリダの言う「条件なき大学」、ハムレットのように、自らは死しても、民衆を守ることのできる大学なのだ。
美しい書物は、「底力」を持つ。シンプルながらいいタイトルだなと思ったのが、
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