大澤聡 著
2015年02月05日
「大宅壮一」に始まって、「大宅壮一」で終わる。
「大宅壮一」と聞くと、私は、かつて自らが痛烈に批判したテレビ(今日、「一億総白痴化」は、差別的言辞ということか、引照されることはないようだが)にしばしば登場し、早口でまくしたてる、あまり品のよくない社会評論家としての相貌を思い浮かべてしまう。
大宅が文芸評論家として出発したことは知っていた。そのデビュー作「文壇ギルドの解体期」も昔、読んだことがある。
しかし、後年のテレビを通した「生・大宅」のイメージが強すぎるのか、まともに相手にする対象に思えなかった。「生・大宅」を知らず、「偏見」に無縁の著者は、本書で大宅が同時代の言論状況を見抜いていた鋭い批評家だったことを明らかにしている。
『批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇』(大澤聡 著 岩波書店)
――と、こんなふうに書くと、「誤読してもらっては困る」という著者の声が聞こえて来そうだ。
大宅は1926年12月に発表した「文壇ギルドの解体期」で、明治の硯友社以来続いてきた徒弟制度的な「文壇」が解体に向かっていることを指摘した。
さらに、1932年には「文壇ギルド」に替わって出現した空間を「ヂャーナリズム文壇」と呼んだ。
こうした大宅の同時代での発言を受け、著者は、1920年代末から30年代半ばにかけて、大衆社会化が進んだ日本において、論壇や文壇には二つの位相――討議/芸術空間と商業空間――が立ち現われたことを指摘する。言論は商品として存在する時代になったのである。
その商品は消費者(読者大衆)に直接届けられるわけではない。流通を媒介する場が必要となる。
それが、総合雑誌や新聞というメディアである。しかも、一定の様式によって提供されなければ、商品は商品として認知されない。
著者が課題としたのは、1920年代末から30年代にかけて立ち現われた、こうした言論・批評をめぐる「アーキテクチュラルな位相」の考察である。
序章と終章の間に、論壇時評・文芸時評・座談会・人物批評・匿名批評を取り上げた各章が挟まる。
総合雑誌や新聞学芸欄などに掲載された膨大な文献が引照されている。同時代にはともかく、多くはその後、読み捨てられていた文章群と言っていいだろう。
当然、多くの著者が登場する。大宅を別格にすると、たびたび名前が出て来るのは杉山平助(氷川烈)である。「毒舌評論家」として、ある時期まで「売れっ子」だった。
「アーキテクチュラルな位相」を考察する著者の関心は、もとより論壇時評以下で何が語られたのか(内容)には向かない。
問題とすべきはフォーマットなのである。なぜ、この時期、論壇時評という形式が生まれたのか。なぜ、この時期、文芸時評という形式は新たな論議にさらされたのか。なぜ、この時期、座談会・人物批評・匿名批評という形式が「流行」したのか。
これらの問いを抱えて、著者は膨大な「資料」を渉猟した。「アーキテクチュラルな位相」が、多くの論者たちの自己言及を通して浮かび上がる。
いま、ここで「この時期」としたのは、敷衍すれば、大衆消費社会としての現代が始まった時期のことである。速度を伴った情報の圧縮化・分類化・序列化が求められるようになった。
それらに適合した形式としてメディアに選ばれたのが、本書が取り上げた商品としての言論の形式だった。そこでは、メディアによって固有名が次々に商品価値があるものとして生産され、使い尽くされていく。
「メディアはメッセージである」というよく知られたマクルーハンの言葉が引用されている。本書はマクルーハンのこの言葉を、日本における「現代」の始原において創造的に読み直したものと言っていい。
むろん、その視点の先には、「現代」がある。いま、批評という言論行為がいかにしてあり得るのかという問いも本書は内在している。
最後に一言。執拗に「単文」化を指向する文体は語彙の選択と相まって、必ずしも著者の理路を明確に伝えることに役立っているとは思えない。せっかく新しい書割を前に演じているのだから、大仰な身振りは不要ではないか。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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