岩崎夏海 著
2015年02月05日
ベストセラーは世相を映し出す。その時代の大衆の心のありようが本から見えてくるからだろう。
敗戦直後の最初のベストセラーは『日米会話手帳』だった。戦後10年ぐらいは、日本人は生き方を模索していたのか、太宰治『斜陽』や谷崎潤一郎『細雪』などの文学作品が売り上げ1位になった。
実用書がベストセラーになったのは、どうやら60年の謝国権『性生活の知恵』が走りらしい。高度成長、大衆社会化と無関係ではないだろう。『ノストラダムスの大予言』(80年)は冷戦時代の核戦争の恐怖からだろう。
その後はメディアミックス化してゲーム本や芸能人本が売れ、近年は健康本、ビジネス系自己啓発本ばかりとなり、2014年1位の『長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい』に至る。
戦後70年、そして日本人は知性から遠く離れていきました……やれやれ……筆を置きます。
というのは嘘で、本書の書評です。
『「もしドラ」はなぜ売れたのか?』(岩崎夏海 著 東洋経済新報社)
2009年に発売された『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』は売れに売れて、現在まで273万部を超えるミリオンセラーとなった。本書はその著者自身が『もしドラ』がなぜこのように売れたのかを分析したという一風変わった内容だ。
著者がそう言うのには理由があって、『もしドラ』は売るためのアイデアをまず立てて、「時代の潮目」を読み当てたという自負があるからだそうだ。
そもそも、著者は放送作家出身で、経営学のドラッカーの専門家ではない。「知的なエンターテインメント」を今の読者が求めているという予想からたまたまドラッカーに出会ったのだという。
『もしドラ』は高校野球部の女子マネージャーが、部活に役に立つのかと勘違いしてドラッカーの『マネジメント』を読み、その理論を適用してみると野球部がどんどん強くなっていくという話だ。
著者がまず模範にしたのは2005年にベストセラーとなった小説『ダ・ヴィンチ・コード』だったという。レオナルド・ダ・ヴィンチという「アカデミックな要素」、ダ・ヴィンチの「ネームバリュー」、アカデミズムと殺人事件の「意外な取り合わせ」の三つがヒットの要因だと分析したという。
そしてドラッカーより先に、主人公は「17歳の女の子」ということを決めたそうだ。著者はそれまで秋元康氏のスタッフで、AKB48のファンが、「中学生が好きだとロリコンと見られて恥ずかしく、18歳だと大人に感じて興味がわかないようで、17歳に一番人気が集まる」という法則が分かったからだという。
ドラッカーの発見もまたエンターテインメント経由だった。
著者はゲーム「ファイナルファンタジー」にはまり、ネット上のほかのプレーヤーとの組織運営がうまくいかなかったそうだ。ゲーム関係のブログでドラッカーの文章を見つけ、『マネジメント』を読んで感動したという。そしてドラッカーと女子高生という「意外な取り合わせ」が生まれた。
「時代の潮目」というと、「不況の中で売れるものだけが売れるというメガヒットの時代」や、「ネットの口コミになりやすい意匠」、「新書ブームの展開」などの指摘はなるほどと思わせる。
また著者が影響を受けたという筒井康隆氏の小説『文学部唯野教授』(90年)は大学内のドタバタ喜劇と批評理論という「取り合わせ」は素晴らしいが、アカデミズムをエンターテインメントに取り入れるのは時代が早すぎたと分析。今ならいけると、『もしドラ』を書く動機にもなったという。
興味深かったのは、いつの時代でも「物語の原型」が強みだという指摘だ。
著者によると、人気劇作家三谷幸喜氏の作品の多くが「がんばれ! ベアーズ」と構造が同じなのだそうだ。落ちぶれた集団に一人の新参者が来て、そんなに能力はないが情熱があり、集団のダメさを見かねて変革に乗り出し、やがて改革に導く。確かに『もしドラ』も同じ筋立てだ。
本書は、分析一辺倒というわけではなく、著者の個人史を絡めながら、書き進められている。
秋元康氏の会社で「ブレーンはやめて、運転手になれ。それができないなら辞めてもらう」という著者の挫折から語り始める。背水の陣になった著者は会社を辞め、ベストセラーを書こうと苦心惨憺し、やがて『もしドラ』が生まれる。本書自体が「がんばれ! ベアーズ」だったということに気づき、「一本取られた」と苦笑して本を置いた。
売ろうと思って本が売れるわけがないだろうという声もあるだろう。著者は確かに通俗的で軽薄な回路から「知的エンターテインメント」にたどりついたが、読者大衆の知性を決してバカにしていない。その読者に寄り添う姿勢は、硬派の本を作る側も見習うべき点は多いだろう。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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