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[23]第5章「夢見られた学園(5)」

不安な若者たちの物語

菊地史彦

 学校が有形無形の暴力にさらされ、管理に締めつけられたこの時代、皮肉なことに、学校を舞台にした物語が次々と生まれた。

 むろんその背景には、学校問題が世間の関心を強く引きつけていたという事情がある。読者や視聴者をつかむには、その時々の話題の波に乗るのがいちばん手っとり早いからだ。

 しかし、こうした説明だけでは、当時生まれた、さまざまな学園物語の発生理由を言い当てられない。

 それを見出すには、それぞれの物語が、深層の部分で代弁していた「学園」への期待の、その内部に入り込む必要がある。ドラマ群は、まるで壊れかけた「学園」幻想を埋め合わせるかのように、新たな学園の姿、その役割や機能を求めていたのである。

 たとえば、1979年10月にスタートしたテレビドラマ『3年B組金八先生』のように、「熱血教師」の系譜を受け継ぎ、学校が直面するテーマを次々に採り上げた作品がある。

 第一シリーズでは、女子中学生の妊娠や大学受験生の自殺を、翌80年から始まった第二シリーズでは、校内暴力など「荒れる中学校」に焦点を当てた。第一シリーズも第二シリーズもともに、25パーセント前後の視聴率を稼ぎ、虚構は現実と重なりあって「金八先生ブーム」をつくりだした。

武田鉄矢拡大武田鉄矢
 武田鉄也が演じる坂本金八が、ドラマの中で、長髪を振り乱して守ろうとしたのは、戦後的幻影としての「学園」ではなかった。

 理念を掲げる余裕はもはやなく、彼がぎりぎりのところで守護したのは、生徒の精神と身体の安全であり、金八自信の言葉でえば「いのち」だった。こうした教師像こそ、当時の人々が求めたものだった。

 そもそも、「金八先生」は、熱血教師ものの中でも型破りだった。夏木陽介から中村雅俊に至るまで、「熱血教師」の活躍する舞台はすべて高校だった。NHK名古屋放送局の『中学生日記』(1972~2012)をのぞけば、中学校のドラマは前例がなかった。

 高校の学園ドラマは、青春ドラマとほぼ同義である。若さに伴う喜びと悩みと悲しみは、彼らの成長過程に紆余曲折をもたらし、ドラマの格好の素材になる。

 その意味でいえば、「金八先生」は青春ドラマではない。悩みと悲しみは中学生たちを押しつぶし、しばしば暴発への引き金になったからである。つまり、「金八先生」は、「学校という問題群」に取り組む、異例の社会派ドラマだったのである。

 その切迫感は、ドラマをつくる側にも見る側にも共有され、その後、学校問題がいっこうに止むことなく、相貌を変えて繰り返し現れる中で、「坂本金八」を30年にわたって、召喚し続けた。たとえ虚構の中であっても、仁王立ちになって生徒を見守る男を、人々は求め続けたのである。

 しかし、この時期に人気を博したのは、「金八先生」のようなシリアスな物語だけではなかった。

 たとえば、『週刊少年マガジン』に連載された、柳沢きみおの『翔んだカップル』(1978~81)は多くの読者を獲得し、さらに80年には映画とテレビドラマになった。

 ストーリーは、いわゆる「同居もの」で、東京の高校に入学してきた田代勇介と山葉圭が、不動産屋の手違いで同居せざるをえなくなるという設定である。惹かれ合いながら、それぞれ別の相手とつきあう二人の、他愛なくねじれた関係は、倦怠感を漂わせるメロドラマの気配さえ醸し出していた。

 注目すべきは、『翔んだカップル』が、少年誌に連載された男子向け「ラブコメ」だったことである。

 先に触れたように、学園少女マンガは、「ラブ」の夢をかなえるために登場したジャンルである。その特徴は、主人公の少女が、自身の容姿や能力に劣等意識を持っていても、これらを含めて、彼女のすべてを肯定してくれる相手に出会うという物語構造にある(もちろん相手の男性は容姿も能力も申し分ない)。

 このふつうの少女たちの切実な夢を、類型化されたキャラクターとプロットで具体化してみせたのが、陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子などの「乙女チックラブコメ」である。

 しかし、読者は少女ばかりではなかった。橋本治の炯眼が見抜いていたように、「女の子の為のポルノ」(橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』、1979)である「乙女チックラブコメ」を覗いていた男性読者は、少なくなかったのだ。これに気づいた柳沢が生み出したのが、“少年向け乙女チックラブコメ”、『翔んだカップル』だった。

 ただし、『翔んだカップル』は、「乙女チック」の原則に従いながら、“ふつうの少年の夢”に、少女向けオトメチックよりずっと放恣な欲望を注ぎ込んだ。 ・・・ログインして読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) 

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立し、企業の組織課題やコミュニケーション戦略を中心にコンサルティング活動を行なう。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『情報文化の学校』(共著、NTT出版、1989)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)がある。