リチャード・ドーキンス 著 吉成真由美 訳
2015年02月12日
昭和に自己形成期を過ごした文科系の諸氏には、おそらく似たような経験がおありではなかろうか。
学校図書館の薄暗い片隅で手にした一冊の岩波文庫。ファラデー著『ロウソクの科学』。その薄さと平易な語り口に惹かれておずおずと読み始める。分かる。そしてたちまち〈科学〉という世界に魅了される。
ところが現実は甘くない。まずは微分・積分あたりで引っ掛かり、物理では摩擦力の計算に頭を痛めて、やがて〈科学〉は高い壁に隔てられて永遠にその扉を閉ざす……。
『ロウソクの科学』は1825年からファラデーが英国王立研究所で始めたクリスマス・レクチャー(子供たちのための科学講座)のうちの一つを収めたものだが、これがイギリスという国の凄いところで、その習慣は実に現代にまで引き継がれていて、1991年のクリスマス、ドーキンスが行なった同レクチャーをまとめたのが本書である。
『進化とは何か――ドーキンス博士の特別講義』(リチャード・ドーキンス 著 吉成真由美 訳 早川書房)
進化とは何か。そのものずばり。すなわち彼がこれまでに世に問うてきたすべてを5回に分けて子供向けに説いているのだから、これが面白くないわけがない。
そしてそのうちにふと気付く。
難しいことを噛み砕いて発せられるドーキンスの言葉の何と豊かなことか。巧みな比喩、明晰であるがゆえに深部にまで届く射程距離。
編・訳者の吉成真由美さんが後書の冒頭にシェイクスピアの『マクベス』の有名な一節「明日、また明日、そしてまた明日が……」を引いているのがよく分かる。この本にはシェイクスピアにも通ずる深い洞察が、平明な表現で随所に凝縮されているのだ。
そのうちのひとつに「私たちはスポットライトの中で生きている」というのがある。
宇宙はその誕生から約140億年経っている。つまり1億4000万世紀。気の遠くなる年月だ。
そして今から6000万世紀経つと太陽は赤色巨星(レッド・ジャイアント)になって地球を飲み込んでしまう。
「『現世紀』というのは膨大な時間の流れの中の一スポットライトに過ぎない。その一瞬のスポットライトの前はすべてが死滅した暗闇であり、そのスポットライトの後はすべてが未知の暗闇です。私たちはこのスポットライトの中で生きている」
それがいかに貴重で幸運なことであるか。進化とは「長い時間の中の幸運の積み重ね」だとドーキンスは言う。「複雑な完成されたように見える存在が、たった一つのステップによって作り出されたのではないことを示す唯一の考え方」だと。
「シンプルでありながら絶大に効果的な『幸運を積み重ねる』というやり方を、地質学的な長大な時間軸上に引き伸ばすことによって、非常に確率の低いことも可能にしているのです」
こういう表現は、文科系の頭をよく撹拌し、刺激する。ではその奇跡とも言えるスポットライトの中で、確率の低い幸運をすべての人間と分かち合うにはどうしたらいいか……それを考えるのがモダニズムの本質だったのではないだろうか。
そしてその意味で、モダニズムはまだ終わってはいない。
以前「仮面を剥がれたポストモダニズム」というドーキンスのエッセイを読んだことがある(『悪魔に仕える牧師──なぜ科学は「神」を必要としないのか』<早川書房>所収)。
そこで彼は複雑過ぎて解読不能なポストモダン的言説を、まっとうな思想の欠如を覆い隠しているだけだと両断し、そこに撒き散らされた科学用語がいかにまやかしに満ちているかを激しい怒りをもって指摘する。
いまやポストモダニズムの流行りが去って世界的な右傾化が始まり、言葉は、いや、人間はどこに向かおうとしているのか。
本書の元になったレクチャーの原題は“Growing up in the universe" すなわち「宇宙で成長すること」である。
ドーキンスはその成長を三つ挙げている。
一つは人間や他の生物が1個の細胞から何兆個にもなって巨大な組織に成長する「個体発生」。
二つめは惑星上のすべての種や生命体が進化という過程を経て成長していく「系統発生」。
そして三つめの成長は「宇宙に対する大人の認識を持つ」こと。これはダーウィンに向けた少々愉快な評価「(彼は)飛び抜けて優れた少年ではなかったとしても、飛び抜けて優れた大人だった」にも通ずるのだが、すこぶる意味深い言葉である。
私たちは果たして、宇宙に対して大人の認識が持てるのか。
先に挙げた膨大な時間の流れを、ドーキンスは直截的にこう譬える。
「子供たちに両腕を広げさせて、まず右手の指の先を地球の始まりとし、左手の指先を現在とします。そうすると、右手首から始まってだいたい左手の手首くらいまでは、いろいろなバクテリアが生息している時代、そして恐竜は大体左手の手の平あたりで登場し、人間は左手の爪先くらいになります。そして、人類の文明すなわち本を書いたりというようなことは、爪先をやすりでひとこすりして、爪から落ちた粉の分しかない!」
その「爪から落ちた粉」の一粒でもあり得ない私たちが、地球に未来永劫禍根を残す原発なぞを稼働して、ただでさえ確率の低い幸運を減じてはいけない。それは「大人」のやることではない。
ましてや「地球を俯瞰する」ならまだしも「地球儀を俯瞰する」外交と銘打って、人間を破壊する方向へ国の舵を切ってみたりしてはいけない。
そういう幼児の所作を前にしたとき、文科系の頭脳には次のような本レクチャーの結語が切実に響く。
「おそらくこの宇宙で唯一私たちだけが、やっと大人になっていくことができるのでしょう」
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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