絶品『昭和残侠伝 死んで貰います』
2015年02月09日
『昭和残侠伝 死んで貰います』の舞台は東京・深川で、花田秀次郎(高倉健)はその下町で古い暖簾を守る料亭「喜楽」の若旦那だったが、父親が後妻・お秀(荒木道子)をめとり、妹(上村香子)が生まれると身を引き、家を出て、そのまま裏社会の博打(ばくち)打ち=渡世人となる。
実はこの秀次郎の博徒駆け出し時代の、あるエピソードから映画は始まるが、それは賭場でイカサマを見抜けずカネをすってしまい、挙げ句に袋だたきにあうという出来事だ。
そして、その雪の降る夜、叩きのめされ無一文になった秀次郎が銀杏(いちょう)の木の下でうずくまっていると、芸者修業中の娘・幾江(藤純子)が彼に傘を差しかける(みごとな画面構成!)。
幾江は、秀次郎に気付けの酒を飲ませようと、徳利を取りに行く。が、幾江が戻ると秀次郎の姿はなかった。
次の無人ショットには、銀杏の木の下に置かれた番傘と徳利がうつるのだが、ここで早くも見る者はやられてしまう。<情>を役者の演技だけでなく、傘や花や雪や果実といったモノに託して簡潔、かつ情感豊かに表すマキノ演出にグッとくるのである(やはりやくざ映画や股旅ものの名匠だった加藤泰や山下耕作も、こうした間接描写を得意とした)。
……3年後、見違えるような一人前の侠客となって賭場に戻った秀次郎は、かつて自分からカネを巻き上げた博徒(山本麟一)のイカサマを見抜き、電光石火の素早さで彼の手を短刀で刺し、実刑を受け収監される。
そこで秀次郎は、花田家の力になろうと板前に身をやつし――つまり「かたぎ」になり――、「喜楽」を再興しようとする(脇筋として描かれる、再会した幾江/藤純子と秀次郎の恋物語が粋で情感豊かな妙味を添える)。
だが、「喜楽」を乗っ取ろうとする新興博徒組織・駒井一家の悪逆非道な仕打ちが繰り返され、ついには花田家を手厚く支援してきた気風の良い寺田一家の親分(中村竹弥)が殺されてしまう。
もちろん、我慢に我慢を重ねた義兄弟・秀次郎と重吉の行く道は、聞くだけ野暮な“唐獅子牡丹"。
まさしく、「親か仁義か女をとろか/仁義抱きましょ男の世界/親の涙も見ないふり/女のいのちも知らぬふり/一本刀泣かぬ笑わぬ高倉健」、という惹句がぴったりのクライマックスの到来だ(ただし、この惹句はシリーズ第5作『唐獅子仁義』<マキノ雅弘、1969>の予告編のフレーズ)。
ではなぜ、任侠やくざ映画のパターンを忠実になぞる『死んで貰います』が、このジャンルにおける飛び抜けた傑作なのか。
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