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[26]第6章「<遠郊>の憂鬱(2)」

窮乏化する地方経済

菊地史彦

 立松和平は、『遠雷』に続く作品として、『春雷』(1983)と『性的黙示録』(1985)を書いて、3部作をなした。

 最初の作品が、息詰まるような閉塞感に苛まれながら、土に触れて生気を取り戻す青年を描き、どこか楽観的なファンタジーであったのに引きかえ、第2作と第3作は、陰惨なリアリティへぐんぐん接近していく。

 『春雷』では、満夫たち和田一家は、ビニールハウスを建てたわずかな畑と住宅を手放すところまで追いつめられている。父は農薬を飲んで自殺し、第1作が結婚式で閉じられたのと対比的に葬式で締めくくられる。

立松 和平1982年拡大立松和平=1982年
 さらに、『性的黙示録』では、満夫はトマトの栽培を止め、土地と家を売り払う。自身は蒲団屋の勤め人になり、あや子はスーパーのパート仕事に出る。

 二人の子どもと老いた母親を抱え、街の賃貸アパートで暮らす満夫の一家には、すでに灰色の影が落ちている。

 ささいなきっかけから、社長の水野を撲殺した満夫も、彼の家族にも、もう戻る場所が残されていない。

 ビニールハウスのあった場所はファミリーレストランに、住宅は取り壊されて駐車場に変わり果てている。土地の記憶はコンクリートとアスファルトの下へ塗り込められて、ぷつんと立ち消えてしまっているからだ。

 満夫の一家がたどった道は、80年代の<遠郊>の急速な変貌を象徴している。その変貌の背景には、この時期の地方経済に絡んだいくつもの因果がある。

 前史には、国土と産業のデザインをめぐる、都市と地方の綱引きがある。

 高度経済成長を牽引した重化学工業は、三大都市の近傍に生産拠点を集中させた。それが都市圏への人口集中を招き、地方の衰退を招くことになった。これに対して、1960年代以後、工場を地方へ分散させようとする動きがあった。

 1962年に策定された「全国総合開発計画」は、太平洋ベルト地帯への工業の集積、その結果生まれた、他地域との格差の拡大を懸念して、工場の分散をはかったが、予測を上回る経済成長が続いた結果、大都市(特に東京)への人口流入は止まらなかった。

 その後、「新全国総合開発計画」(1969)、「工業再配置促進法」(1972)、「第三次全国総合開発計画」(1977)などの策定・制定を通して、工業・工場の地方分散がある程度達成され、大都市への人口流入と地域格差は縮小していった。

 しかし、80年代には、さらに大きな転換が始まる。 ・・・ログインして読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) 

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立し、企業の組織課題やコミュニケーション戦略を中心にコンサルティング活動を行なう。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『情報文化の学校』(共著、NTT出版、1989)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)がある。