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タカラヅカ=宝塚とAKB48の違いは何か?

「必然」と「偶然」にあらわれる時代性

福嶋聡 ジュンク堂書店難波店店長

 「タカラヅカ」=宝塚歌劇は、2014年に創立100周年を迎えた。創立は1913年(大正2年)、まだ第一次世界大戦も始まっていない年だ。

 浮き沈みの激しい興行の世界で、「100年」の歴史を築き上げて来れたのは、なぜか? 

 時代を超え、世代を超えて多くのファンを引きつけてきた最大の理由は、華麗な舞台の魅力そのものに違いない。

 だが一方で、「100年」もの持続を支えたのは、「タカラヅカ」独自の経営戦略と、偶然と必然がないまぜとなったその環境であった。元宝塚総支配人森下信雄は、『元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略』(角川oneテーマ21、2015年1月刊)で、そのように語る。

宝塚大劇場=兵庫県宝塚市2013拡大宝塚大劇場=2013年
 「タカラヅカ」が宝塚市で創立されたのは、偶然である。宝塚駅が阪急電鉄の終点だったからというのが、その理由だ。

 「宝塚少女歌劇」は、阪急電鉄の乗客を増やす目的で創立され、収益はもっぱら鉄道運賃に期待されたので、当初興行利益を考慮せずにひたすら「よい舞台」をつくることに専念でき、そのことが「タカラヅカ」の土台を築いたのである。

 時代が移り、「タカラヅカ」にも収益を期待されるようになるころには、五つの組の公演(扱いは常に平等で、本公演は45回と決まっている)をコンスタントにつくり上げ、団体客営業や私設「ファン会」によるチケット販売、そして定期的な地方公演のローテーションが確立された。

 一度完成されたヒット作の再演は、興業利益の面では効率的だった。

 森下が「タカラヅカ」の経営に携わった80年代から90年代は、文化関係の公的な予算が急増したバブルの時期で、「公立ホール」が中央地方を問わず乱立した時代だった。

 ところが「ハコ」を活用する側への手当、配慮がなされず、キーとなるプロデューサーの確保・育成が十分にできなかったため、稼働率は50%以下だったという。空いた「ハコ」に「タカラヅカ」は歓迎され、地方公演は「タカラヅカ」の経営基盤を安定させた。

 年間を通じての公演は、雇用を保証されたスタッフによる継続的な作業並びに研鑽、相互の協力関係の強化を生む。演出家は、専従の裏方の存在を前提に台本を書き、演出を考えることができる。舞台裏には「あ・うん」の呼吸が、随時交わされる。

 もちろん「タカラヅカ」の最大の資源は、スター女優である。

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筆者

福嶋聡

福嶋聡(ふくしま・あきら) ジュンク堂書店難波店店長

1959年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。1982年、ジュンク堂書店入社。サンパル店(神戸)、京都店、仙台店、池袋本店などを経て、現在、難波店店長。著書に『希望の書店論』(人文書院)、『劇場としての書店』(新評論)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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