2015年02月20日
さて多くの映画祭が苦境に立たされる中、ひとり気を吐いているのがカンヌ映画祭である。
実際、是枝裕和、河瀨直美、黒沢清、北野武の四強は、すべてカンヌ映画祭での成功が、フランスでの成功にそのままつながってきたような監督だ。
是枝は『誰も知らない』『そして、父になる』、河瀨は『萌の朱雀』『殯(もがり)の森』、黒沢は『トウキョウソナタ』で受賞を果たしており、かつカンヌの常連であることが、世界的に監督としての箔をつけている。
北野はヴェネティア映画祭との関わりも深いが、すでに『ソナチネ』の時点でカンヌの「ある視点部門」にも選ばれていたし、コンペ参加も何度かある。
カンヌの特別企画として世界の巨匠と並んで短編制作を依頼されるなど、現役日本人監督の中では、最も一流監督のお墨付きをもらっているとも言えそうだ。
基本的にカンヌは、自分たちが一度認めた才能を、長いスパンで見届けて応援していこうとする意思が強い。
それは良いことだとは思う。映画祭がある監督を応援することは、映画祭として「この監督を認めた」という責任を引き受けることでもある。芸術に対するある種の立場を表明することで、映画史の更新を促すことにもなるだろう。映画祭からの励ましは、芸術家として常に孤独な監督たちの心の拠り所にもなる。
だが問題がないわけではない。
ちょっと獲りすぎではないか。私などはダルデンヌ兄弟作品がコンペにあるのを見るだけで、「またか~」とテンションが一気に下がる。
彼らの作品は素晴らしいが、カンヌで出会うには既視感が強すぎて面白くない。できればカンヌは他の映画祭にワールドプレミア権を譲り、ダルデンヌ兄弟は紅白のサブちゃんのように一度卒業し、他の監督に場所を譲ってほしい。
彼らにとってカンヌは全てを理解してくれるツーカーな仲だろうから、新作を撮れば最優先でコンペに入る “ぬるま湯状態 "にもなっている気がする。
そもそも彼らの映画は、映画祭で賞を取りやすいタイプの映画でもあるのだ。大きな御世話だとは思うが、ここはいったん他の映画祭で新たに揉まれてくれた方が、映画監督として新しい刺激も受ける気がするのだが。
もちろんカンヌに対して新しい日本人監督を、はじめから「カンヌのコンペに出せ!」などと無理難題は言わない。
だが
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