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ゴダール『さらば、愛の言葉よ』にぶっ飛ぶ(上)

衰えを知らぬ過激さ、若々しさ

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 かつて世界を席巻したフランス発の“映画革命"、ヌーヴェル・ヴァーグ/新しい波。そのムーブメントの旗手の一人だったジャン=リュック・ゴダールが、84歳で撮った『さらば、愛の言葉よ』(2014、70分)は、なんとも“とんがった"3D映画の傑作で、度肝を抜かれた。

 この衰えを知らぬ過激さ、若々しさは一体なんなのか――。ともかく本作を見る者は、ゴダールが「一作ごとに処女作を撮り続ける映画作家」であることに、あらためて驚かされる(原題は「さらば言葉よ」)。

 むろんあの、さまざまな音と映像を、ゴダール以外の誰も思いつかぬ仕方で断片化し、切り貼りし、コラージュしていく手法や、あるいはさまざまなテキスト(小説や哲学書)からの引用の洪水、もしくは原色と濁色を思いがけないやり方で組み合わせる配色は、本作でも絶好調で、いかにもゴダールらしい仕様になっている。

ゴダール『さらば、愛の言葉よ』拡大『さらば、愛の言葉よ』の公式サイトより
 なのに後述するごとく、『さらば、愛の言葉よ』は、これまでのゴダール作品とはほとんど似ていない。

 つまり既視感がゼロなのだ。

 そして例によって、物語がないわけではないが、見ているあいだは、それをまとまりのあるストーリーとして把握することなど100%不可能。

 にもかかわらず、最後までまったく退屈しない。

 いやそれどころか、こちらの目はずっとスクリーンに釘づけになる。

 ……ともあれ野暮は承知で、私が2回見て、なんとか読み取れた本作の物語の要約を試みる。

 ――暴力をふるう夫から逃れた女がある男と出会い、共同生活を始める。が、新しい男は元夫に襲撃され(間接的に映像化されるのみ)、たぶんそのせいで、ふたりの関係は壊れてしまう(らしい)。おまけに、このカップルのドラマは、2組の別々の男女によって、細部におけるわずかな違いこそあれ、ほぼ同じドラマとして繰り返される。

 しかも厄介なことに、それぞれのカップルのドラマは、いずれも最初の15分が、意味のはっきりしない、「1/自然」と「2/隠喩」という題のパートに分割される。

 最初のカップルが登場する「1/自然」では、ジョゼット(エロイーズ・ゴデ)が新たな男ジェデオン(カメル・アブデリ)に出会うまでが描かれる。2番目のカップルが登場する「1/自然」では、最初のカップルのドラマと同様、イヴィッチ(ゾエ・ブリュノー)が新たな男マルキュス(リシャール・シュヴァリエ)と出会うまでが描かれる。

 そしてなんと、2組のカップルの出会いの描写が終わった後の部分も、「1/自然」、「2/隠喩」というパートに分けられ、それぞれの男女の共同生活が描かれる。

 映画の最後の部分は、いわば終章として、小説『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリーと彼女の夫が登場し(俳優共に不詳)、メアリーは森の中で『フランケンシュタイン』を完成する。

 その後、さらにややこしいことに、ゴダール本人と、彼の実生活上のパートナーであるアンヌ=マリー・ミエヴィルらしき女性をカメラがとらえる。ということはつまり、計4組のカップルが本作には登場するのだ。

 しかもそうした“増殖するカップルの複雑化"に、どんな意図や意味があるのかは、見る者にはよくわからない(ゴダールはほとんどデタラメにそうした“複雑化"をやっているようにも思われる)……。

 そして映画の後半では、いま述べた<双数化><二重化>とは無縁な1匹の犬が、自然の中をさまよう様子がていねいに愛(いと)おしく描かれ、見る者の緊張した視神経を癒してくれる(くだんの犬は、ミエヴィルとゴダールの飼い犬、ロクシー<犬種はウェルシュ・シープドッグ>)――。

 もっとも、以上はあくまで「不完全な要約」であって、映画には観客をはぐらかし混乱させるような、主筋とは無関係に思われる多くの書物からの、しかも必ずしも原典に忠実ではないらしい引用が挿入され、さらにハワード・ホークス『コンドル』(1939)、ルーベン・マムーリアン『ジキル博士とハイド氏』(1932)、ヘンリー・キング『キリマンジャロの雪』(1952)、フリッツ・ラング『メトロポリス』(1927)などなどの映画の断片が、フィルムの流れを寸断するように挿入されるのだから、まずは虚心に画面の強度(<かっこ良さ>あるいは<変な感じ><不可解感>)に身を任せるのが、『さらば、愛の言葉よ』の最良の見方だろう。

 ……そうなのだ、ひとまず、一つひとつの画面の、あるいはそれらが切断され、つながれる<かっこ良さ>を、また、たとえば3Dで撮られた犬のロクシーの顔が、ぬうと前面に飛び出してくる立体感の驚異を、頭を空っぽにして楽しむのが一番いい。

 そして、出来れば2回以上見て、記憶に刻まれた数々のショットや編集法を、もしくはあのカップルたちは何なんだなどと、映画好きの人たちとあれこれ話し合うこと、それが『さらば、愛の言葉よ』の最高の味わい方だと思う。

 次回は、本作でとくに印象的ないくつかの細部や手法などに触れたい。 <星取り評:★★★★★+★>


筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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