現代の本質を幻視する天才
2015年02月28日
戦後の日本マンガにはいくつかのエポックメーキングな革新がありました。
1950年代後半から始まり、白土三平の『忍者武芸帳』で決定的な達成を見る「劇画」ブーム。1960年代後半、従来の物語作法に捕われないマンガ表現に向かう若い作家を一斉に輩出した「ガロ」と「COM」というマンガ雑誌のムーヴメント。1970年代末、大友克洋の登場をきっかけに新たな時代を表象するクールなマンガ技法を開拓していった「ニューウェーブ」……。
これらは男性マンガ家が中心となった動きでしたが、少女マンガにも同じくらい重要な革新的運動がありました。
それは、1970年代に「花の24年組」と呼ばれた作家たちによるマンガ話法の刷新でした。「花の24年組」とは、昭和24(1949)年前後に生まれた才能あふれる女性マンガ家たちを指す呼称で、ここには『ポーの一族』の萩尾望都、『アラベスク』の山岸凉子、『綿の国星』の大島弓子、『風と木の詩』の竹宮惠子といった作家たちが含まれます。
「花の24年組」の決定的な新しさは、マンガ表現の対象として、外的なドラマや物語よりも人間の内面を重要視して、その内面を精妙なイメージと言葉の組みあわせで表現するマンガ話法を創造したことでした。
これは近代文学におけるプルーストの革新にも比すべき話法の開発であり、その後の日本のマンガ表現全般に深く静かな影響をあたえました。
これに対して、1970年代末に「ニューウェーブ」を牽引した大友克洋は、人間と人間の内面を特権化することをやめ、人間と物、そして、それらをとり巻く都市の風景を同じニュートラルな描線で表現し、人間が豊かな内面を失って、外界と同じ平坦さのなかに埋没してしまう状況を描きだしました。
岡崎京子は、マンガの登場人物たちが吹きだしのなかで喋る現実の会話と、ドラマの視点を担う人物が語る内心のモノローグと、物語の語り手や作家自身が記すナレーションとを絶妙の巧みさで書きわけ、絡みあわせていきます。
それはきわめて複雑な言葉の技術的コントロールを必要とする話法ですが、岡崎京子のマンガを読むかぎりは、けっして混濁したり、難解な印象をあたえません。岡崎京子は、花の24年組が開発したマンガの言語技法を完璧に自分のものとして消化していたからです。
しかし、岡崎京子が花の24年組と完全に異なっているところは、岡崎がもはや人間の内面の豊かさを信じていないことです。
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