京都の民間パワーと近代化遺産の結合
2015年03月18日
京都で5月10日まで開催されている「PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015」を見て、ずいぶん驚いた。日本でこのレベルの衝撃は、2001年の第1回の横浜トリエンナーレ以来だった。なぜこれがそれほどおもしろかったのかについて、これまでの同種の展覧会を振り返りながら考えてみたい。
もともとビエンナーレやトリエンナーレは、イタリアで1895年に始まったベネチア・ビエンナーレに始まる。世界各国の美術を一堂に集めるという発想は19世紀後半の万国博覧会の延長線上で生まれたもので、ベネチアには今でも国別のパビリオンがある。
それからブラジルのサンパウロ・ビエンナーレやドイツのカッセル・ドクメンタなどが有名になり、次第に国よりも作家個人に焦点を当てるようになった。
日本でようやく始まったのは21世紀になってから。2000年に越後妻有トリエンナーレが始まり、翌年に横浜トリエンナーレが始まった。
この2つは実は違う。「越後妻有」は、画商の北川フラム氏がとりまとめる地域おこしのお祭りイベントだが、「横浜」はディレクターが責任を持って選ぶ形式で、ベネチアなど海外の形に近い。
実は私は2001年の「横浜」に関わったが、関係者の間ではとにかく日本でもこうした国際的なアートフェスティバルを作らねばという気持ちが強かったのを記憶している。
「越後妻有」も「横浜」も専門家の評判も集客も良かったことから、日本各地でそれに続く動きができた。
越後妻有を踏襲する形では2010年に北川氏の指揮で瀬戸内国際芸術祭が始まり、横浜の路線では同じ年にあいちトリエンナーレが始まった。あいちの初代ディレクターは横浜の4人のディレクターの1人だった建畠晢(あきら)氏。
そして2014年はどちらの路線とも言えない札幌国際芸術祭が開かれた。ディレクターは坂本龍一氏(開催直前に入院)。そして今年の京都のPARASOPHIAは明らかに横浜の路線で、ディレクターは横浜4人組の河本信治氏。
「横浜」の第1回は、パシフィコ横浜と赤レンガ倉庫という、美術館ではない非日常空間を使ったのが良かった。とりわけ赤レンガ倉庫は今世紀初頭の建物で、ちょうどベネチア・ビエンナーレのアルセナーレという造船所跡の施設にも似て天井も高く、現代美術の展示にはふさわしかった。
ところが今では「横浜」は潤沢な予算を提供した国際交流基金が全面撤退して、横浜市が文化庁の支援を受ける形で開催しており、横浜美術館が中心の展示になった。
規模も小さいし、何よりも美術館でやるのなら、普通の企画展と変わりばえがしない。「横浜」と「越後妻里」が切り開いた道は、縮小再生産しながら全国に広がっている感じがした。
こちらも中心となる会場は京都市美術館だが、これは1933年にできた「帝冠様式」の建物。
簡単に言うと、レンガ造りの西洋建築に日本式の屋根が乗った感じ(=写真1)。
河本氏の展示は、その建物のエントランス・ホールや地下倉庫や踊り場など、使える場所をすべて使い、建物そのものにこもる思想や歴史を露呈させた。
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