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[書評]『テキヤと社会主義』

猪野健治 著

野上 暁 評論家・児童文学者

流浪の露天商たちが闘った反戦反軍と廃娼闘争の軌跡  

 テキヤとは香具師(やし)のことで、「的屋」とも書く。吹き矢で当てさせることや、いかがわしい商品を売って、当たればもうかることからそう呼ばれたともいう。

 いわゆる大道の露天商人やそれを仕切る人で、副題に「寅さん」の名があるが、実際は寅さんのように自由気ままに日本全国を渡り歩くことはできない。親分子分の制度が確立されていて、一家や組を形成する組織形態が一貫していたからだ。それはヤクザ社会に似ている。

 『テキヤと社会主義――1920年代の寅さんたち』(猪野健治 著 筑摩書房) 定価:本体2000円+税 『テキヤと社会主義――1920年代の寅さんたち』(猪野健治 著 筑摩書房) 定価:本体2000円+税
 著者は、長年に渡ってヤクザや右翼などを丹念に取材し多くの著作を残している、この分野の第一人者である。

 「テキヤ」と「社会主義」という意外な組み合わせのタイトルに惹かれ書店の店頭で手に取った。

 関東大震災を挟んだ時期、テキヤが社会主義運動に関わり、厳しい弾圧にさらされながら廃娼運動や反戦反軍を訴えた闘いの軌跡が鮮やかに甦り、知られざる現代史の暗部が照らし出されて興味が尽きない。

 香具師の歴史は古く、もともと香具(こうぐ・薬草)を売ることからそう呼ばれたが、初期には医師のように簡単な医療行為も行っていたらしい。

 享保年間に「大岡越前守様 十三香具御免書」という文章が残されていて、そこには香具師が路上で扱うことのできる居合抜き、曲鞠、唄廻し、覗き、軽業、見世物、懐中香具売、諸国妙薬取次、辻療治薬と按摩、辻医師など、13項目が挙げられている。

 居合抜きは、失業下級武士が糊口をしのぐために始まり、蝦蟇の油を売っていたという。唄廻しとは、後の演歌師のことだろう。覗きは、覗きからくりのことなのだろうか。香具師はこの時代、大衆芸能に深くかかわっていたと著者はいう。

 香具師がどのように社会主義運動に加わったのか。

 香具師の世界では、かつて「侠商」という言葉がよく使われたという。任侠道に生きる商人ということで、どんな前歴を持った人間でも、差別なく受け入れて面倒を見てくれるから、社会主義者やアナキストの駆け込み寺として機能した。

 また、特高に監視され続けている社会主義者が、1カ所に定住していると近所の人からも胡散臭く思われるので、それを避けるために香具師の世界に入って全国を渡り歩き、そのままはまり込んだ例もある。

 演歌師はまた、シンガー・ソングライターでもあり、歌詞に時局批判を絡めて社会主義思想を広めるうってつけの業態でもあった。

 1920年に山川均や堺利彦らによって結成された日本社会主義同盟が、翌年解散のやむなきを得た後、その中の少数者が「大衆の中へ!」を標榜し、香具師の群れに身を置いて時を待った者もいる。

 彼らは、行商人も労働者であり、労働者としての自覚を持てと訴えたリーフレットを作成して全国各地で配布する。祭りを転々として商売をしながら運動をするのだが、反天皇制の不敬ビラや反軍ビラを撒いて一斉検挙されたりもした。

 演歌師から出発して、東京市議会議員になった名物親分もいる。演歌一本でテキヤ一家を立てた者もいる。

 アナキスト香具師たちの廃娼運動は全国規模で展開した。香具師には、貧困家庭や破産者や一家離散の者が多く、極貧家庭から遊郭に落ちた女性たちと相通ずるものがあった。

 それが廃娼運動につながったのだが、当然ヤクザが絡んだ反廃娼派との抗争もあったり、遊郭の用心棒との血みどろの闘いも起きる。そこに個性豊かな、テキヤの親分の義侠心が炸裂する。

 1923年の関東大震災でのテキヤの活躍も目覚ましい。

 上野公園で「すいとん」の屋台を出し、ある時払いの催促なしで振る舞った一家。直後の戒厳令下で、自警団の襲撃から逃げ場を失った朝鮮人数千人を佃島に庇護し、子分たちを武装させて守った親分もいた。

 戦後社会党の国会議員になった演歌師の石田一松は、大ヒット中の「復興節」の追加歌詞を自作して人気になる。

 震災のどさくさまぎれに、軍や警察による社会主義者の暗殺や、故意に流された流言飛語で多くの朝鮮人と中国人が犠牲になった。

 アナキスト香具師が激昂したのは、大杉栄夫妻とともに、思想的には全く無関係の大杉の甥の少年が一緒にいたというだけで絞殺され古井戸に投げ込まれたことだった。その復讐に立ち上がった、アナキスト香具師たちのギロチン社事件で何人もが死刑になる。

 露天営業者の総数は、震災直後から驚異的に膨らみ、それまでの30万人から60万人に急増したという。こういう中で、翌年には、香具師の社会主義団体「全国行商人先駆者同盟」がつくられ、加盟者が一時は5300人を数え、支部も17カ所できた。

 しかしわずか3年足らずして衰微する。その原因は、香具師社会の宿命ともいえる流浪性と、所属する一家への過剰な帰属意識、親分子分制、貧窮階層でしかも過酷で多忙すぎる日常が影響していると著者は見る。

 祭りや縁日に、香具師は付き物だったが、最近はめっきり見ることが少なくなった。「香具師」と書いて、それを「やし」と読める人も近年では激減しているだろう。

 香具師=テキヤの衰退は、戦後政治とも深くかかわっている。

 GHQの民主化過程で、闇市の親分支配がやり玉に挙げられ、各一家の常設露店が禁止されて安定した収入源が断たれる。

 一方、武装共産党対策として「20万人反共抜刀隊」構想にテキヤが利用されそうにもなる。そして山口組の抗争が激化すると、一般社会では「ヤクザ」と呼ばれていた、博徒も香具師(テキヤ)も青少年不良団(グレン隊)も一括して「暴力団」に括られる。

 マスコミも、ヤクザや博徒やテキヤ(香具師)という言葉を使わず、暴力団一色になる。言葉が消えると実態も希薄化する。

 第一次安保闘争以降、治安体制は一層強化され、検察警察力の整備拡充が行われる。

 暴力団対策法、盗聴法などが次々と法制化してきた。かつて、凶器集合準備罪はグレン隊を対象にするとしながら、学生運動や成田闘争に適用されたことから、共謀罪などができたらどう悪用されるかわかったものではないと著者は警告を発する。

 関東大震災前後のテキヤと社会主義やアナーキズムの関わりと、そのユニークな闘いぶりを紹介しながら、東日本大震災以降の現在にも示唆されることが少なくない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。