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[23]第3章 文学篇(純文学)(3)

『文芸時代』の創刊と「新感覚派」の由来

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

 大正13(1924)年、2つの注目すべき雑誌が創刊された。

 ひとつは、横光利一や川端康成、中河与一、片岡鉄兵などを同人とする『文芸時代』であり、ひとつは青野季吉や、平林初之輔、葉山嘉樹、黒島伝治、平林たい子などいわゆるプロレタリア文学の作家たちがあつまった『文芸戦線』である。

 ここでは「エロ・グロ・ナンセンス」と深い関わりのある『文芸時代』をとりあげたい。

 この雑誌を本拠として執筆活動をはじめた一群の作家は、1、2年のうちにまぶしいほどの脚光をあび、文芸誌にかぎらず婦人雑誌や大衆雑誌、さらに総合雑誌にまで多数の小説やエッセーを発表するようになる。前述した円本ブームにのって急増した新しい読者が、とりわけ都会の若い男女からなる読者が、彼等芸術派の支え手であった。

 彼等の書く作品は、既成の価値観とは一線を画した「エロ」や「グロ」そして「ナンセンス」感覚にあふれたものが多かった。フランスのモダニズムやアメリカのハリウッド映画の風俗を下敷きにしたものも多く、新しもの好きの都会の若い人にファンがひろがった。

 この派のリーダー格の雑誌が『文芸時代』であり、創刊号に載った横光利一の『頭ならびに腹』が、一躍脚光をあびた。有名な冒頭の一節はこんな調子だ――。

 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駆けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。

横光利一 19402年ごろ拡大横光利一=1940年ごろ
 筋らしい筋のない小品であったが、文芸評論家の千葉亀雄は『頭ならびに腹』を新しい感覚の文学として高く評価し、「新感覚派の誕生」と題する論文を発表した。とりわけ浮き彫りにしたのは「沿線の小駅は石のように黙殺された」に象徴される文体である。

 「小駅は石のように黙殺された」という表現が、疾走する特急電車がつぎつぎ駅を飛ばして全速力で走る躍動感を、的確に新しい感覚で描いているとして絶賛したのである。

 横光利一の独特の文体については、ポール・モオランの小説『夜ひらく』からヒントを得たのではないかとの噂がたった。『夜ひらく』は1922年に発表されたもので、詩人の堀口大学の訳で日本でも出版された。

 その中の『カタロオニユの夜』の出だしはこうである。

 一人の女客と一緒に私は旅立つのだ。すでにかの女の半身が車室の中を飾っていた。車窓の外へ乗り出したかの女の体の半身は今ではまだロオザンヌ停車場のものであって、其処のプラットフオムに共通の一つの黒い影によって結びつけられて立つ、各自の上着の釦穴に目印にさした同じ形の野いばらの花をシンボルにかたく結束した人種の異なる人たちから成る代表者の一群に属しているのである。

 「かの女の半身が車室の中を飾っていた」や「女の体の半身はロオザンヌ停車場のものであって」という表現など、当時としては極めて斬新であった。既成作家が決して書かない文体であり、それが新しいものを求める学生や若者の興味をひいた。いつの時代でも若者は、「それまでにない」新奇で斬新なものに惹かれるものである。

 ポール・モオランの作品に特徴的なのは、肉体をも「物」とみなして突き放す描き方で、これこそ「新感覚派」とこれに連なる作家の文体である。

 ポール・モオランはマルセル・プルーストと親交を持つ作家だが、本職は外交官であり職業作家ではなかった。『夜ひらく』で「モダニズム小説」の書き手として俄然注目され、日本でもいち早く翻訳・出版された。

旧文壇から強い反発

 どこの世界でもそうだが、新しい試みに対して、それが本質的に新しければ新しいほど、従来の価値観にどっぷりひたった人たちから強い反発をあびるものである。

 昭和50年代、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞をうけて登場したときも、私小説系の作家の多くは、こんなものは文学ではないと酷評し、選考委員を辞退する作家もいた。

 橫光利一や中河与一らの「新感覚」にあふれた作品に対して、自然主義リアリズムの担い手である広津和郎などから、新感覚派は軽薄であり、無内容である等々、強い反発があり、新旧の作家たちの論争や批判が文芸誌や新聞の文化欄を飾った。

 これに対し千葉亀雄につづき、文芸時代の同人で作家でもある片岡鉄兵が具体例をひいて新感覚派擁護論を展開した。題して『若き読者に訴う』(同誌、大正3年12月号)

(沿線の小駅は石のように黙殺された、という)此の一句が、或る既成作家の意見に依れば、非常に悪いのだという。徒に奇を衒う表現であって、そういう奇抜な表現法を以て新時代と称し、感覚なりと主張するのは不可なり――恐らく内容の新しさもない癖に、と云う訳であろうが――要するにそういう表現法は認めない、又、敢えて新しいとも思えない。そんな所で新時代呼ばわりも、しゃら臭いと云うのが、上述の既成作家の云い分なのであろう。

 片岡は、急行列車なる「物」が小駅にとまらずに驀進していく事実を描くなら「急行列車が、小駅に停まらず驀進して行く」と書くことも、「急行列車が小駅に停車せずに、激しい速度で走って行く」と書くことも出来るし、「単に一つの状態を事実として読者に説明するならなんの技巧もいらない」とした。

 しかし、彼は単なる事実の報告ばかりで満足することは出来なかった。彼は、急行列車と、小駅と、作者自身の感覚との関係を、十数字の内に、効果強く、溌剌と描写せんと意図したのである。[……]汽車という物質の状態を表すに、感覚的表現の他の何物が能く溌剌と効果強き表現を成り得よう。物質のうちに作者の生命が生きるための交渉の、最も直接的にして現実的な電源は感覚である。その他の交渉ではない。心の交渉ではない。[……]作者の感覚が物と共に溶合して生きる事は、その瞬間に第二の生活の始まる事を約束するのは云うまでもない。実にこれは私の詩でもなく、センチメンタルな独断でもなく、また勿論暴力的な詭弁でもなく、私は敢えて云うが、対象を感覚が捉えて、次に始まる第二の生活と最初の感覚との間に詩が閃くのだ!

 既成作家に対して喧嘩を売ったといってよい。既成作家も黙ってはいない。「新進作家などと云っても、何も新しい物は持たないで、単に表現法の奇を衒うだけで、内容が新しくないのでは詰まらない」といった批判をあびせた。新しい文学の傾向に嫌悪を抱きもっとも積極的に批判を展開したのは、広津和郎である。

 片岡は既成作家の反駁にひるむことなく、「この言は既成作家が常に放つ新進攻撃の慣用句である」としてこう論駁した。

 何をか内容と云う?内容とは事件か?材料か?事大思想の若輩の頭の悪さ、嗤うに足るべしである。新時代だからとて、汽車が天に昇ったり、魂が人造されたりするのを予想する彼等は馬鹿である。驚くべき材料の新しさ、事件の奇抜さを、彼等の所謂「新しき内容」として求める者は馬鹿である。

脚光をあびる新感覚の新人たち

 文芸雑誌ばかりでなく新聞や雑誌がこの動きを放っておくはずがない。マスコミは常に「新しいもの」「新規なもの」「珍奇なもの」を歓迎する。新感覚派ないし新感覚風の作品や記事、紹介などが新聞雑誌にあふれた。

 強い批判がはからずも新感覚派の文学の宣伝になったのである。確かに新感覚派の作家の文体は新鮮で、若い人を中心に「これぞ新しい文学」という幻想を抱かせた。

 じっさい彼等の作品は意表をつく表現に満ちており、当時にあっては大変新鮮であった。吉行エイスケの『女百貨店』の冒頭を引こう。

 「ハロー。」
 貨幣の豪奢で化粧されたスカートに廻転窓のある女だ。黄昏色の歩道に靴の市街を構成して意気に気どって歩く女だ。イズモ町を過ぎて商店の飾窓の彩玻璃(いろがらす)衣裳の影をうつしてプロフェショナルな女がかるく通行の男にウィンクした。
 空はリキュール酒のようなあまさで、夜の街を覆うと、絢爛な渦巻きがとおく去って、女の靴の踵が男の弛緩した神経をこつこつとたたいた。つぎの瞬間には男女が下落したカワセ関係のようにくっついて、街頭の放射線から人口呼吸の必要なところへ立去って行った。
 午後十一時ごろであった。大阪からながれてきたチヨダ・ビルのダンサー達が廃(つか)れた皮膚をしてアスハルトの冷たい街路に踊る靴をすべらした。都会の建物の死面に女達は浮気な影をうつして、唇の封臘をとると一人の女が青褪めた朋輩に話しかけた。
 「あのなあ、蒙古人がやってきはって、ピダホヤグラガルチュトゴリジアガバラちゅうのや。あははは。」
 「けったいやなあ、それなんや。」
 「それがなあ。散歩してーえな、ちゅうことなのや。おお寒む。」
 酒と歌と踊のなかからでてきた男女が熱い匂のする魅力にひかれて、洪水のようにながれる車体に拾われると、夥しい巡査がいま迄の蛮地のエロチシズムの掃除を始めて、街は伝統とカルチュアが支配する帝王色に塗りかえられた。

 散文詩風の文体であり、「貨幣の豪奢で化粧されたスカート」という例をひとつとっても、それまでの日本文学にはない表現で、書き手の気分の高揚感が肌に伝わってくる。

 吉行エイスケは16歳のとき、ダダイストの高橋新吉や辻潤などに刺戟され『ダダイズム』という雑誌をだすなど、早熟な作家であった。

 ダダイズムは1910年代にヨーロッパで起こった芸術運動で、ニヒリズムを根底に宿し、既成の権威を認めない。吉行は雑誌『ダダイズム』の「雑記」に「ダダイスト宣言」ともいうべき一文を載せている。こんな調子だ。

 ダダイストはおせっかいをしない、社会主義者に相槌を打つことは出来る、クリスチャンの中に交じって空涙を流すことは出来る
 ダダイストは人に嘲笑し乍ら恋人に鞭打たれ乍らクラゲの滑稽なる交尾を思い出したその瞬間に於いてその男のそばかすににやにや笑う

 若年にしてこのような「宣言」をした吉行エイスケにとって、新感覚派の文学はまさにわがことのように思われたのではないか。新鮮な文体で小説やエッセーを書きまくった。しかし、まもなく文学を離れ相場師に転向し、30代で病死した。

 余談ながら、吉行エイスケの妻は美容師の吉行あぐりで、NHKの朝の連続テレビ小説『あぐり』のモデルにもなった。長男の淳之介は芥川賞を受賞し長く芥川賞の選考委員をつとめ文芸編集者から一目おかれる存在だった。次女の理恵は詩人で芥川賞を受賞し、また次女の和子は現在いぶし銀の味わいを漂わす女優である。 (つづく)

*引用原典中の旧かな旧字等は現代読みにかえてあります。


筆者

香取俊介

香取俊介(かとり・しゅんすけ) 脚本家、ノンフィクション作家

1942年、東京生まれ。東京外語大学ロシア科卒。NHKをへて脚本家、ノンフィクション作家に。「異文化摩擦」と「昭和」がメインテーマ。ドラマ作品に「私生活」(NHK)、「山河燃ゆ」(NHK・共同脚本)、「静寂の声」(テレビ朝日系)。ノンフィクション作品に『マッカーサーが探した男』(双葉社)、『もうひとつの昭和』(講談社)、『今村昌平伝説』(河出書房新社)など。