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[28]第3章 文学篇(純文学)(8)

徒花の中から生まれた佳品

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

 横光利一や川端康成以外にも文学史に残るような書き手は、もちろんいた。彼等の作品は凡庸な作家の作品とひと味もふた味もちがう。新感覚の作品が凡作ばかりでないことを示す意味で、牧野信一の『変装綺譚』(「新潮」昭和5年10月)から、その冒頭を引くと――

 図書館を出て来たところであった、ただひとりの私は――。脚どりが、とてもふわふわしているのを吾ながら、はっきりと感じていたが、頭の中に繰り拡げられて行く夢の境と今、其処に足が触れている目の前の風景とが難なく調和しているので、面白気に平気で歩いていた。
 あわただしく目眩しい街であった。真夏の日暮時であった。濤のような――騒音が絶え間なく渦巻いている賑やかな大きな四ツ角であった。音響の一つ一つに注意すれば、自動車の警笛であり、電車の轍の音であり、建築場から響いて来るクレエンの響きであり、人の会話であり、レストランのオーケストラであり――と何も彼も立所に識別出来るのではあるが、別の想いに耽っている者の耳には、無限に轟々たる濤の響きのようであった。汽車の窓に頬杖を突いて、たった今出発して来た都の賑やかな風景を、彼方の粛条たる山の上に回想している時に聞く汽車の轍の音の適応性にも似た、円やかな音響が巷に溢れていた。

 こんな導入部だが、ロシナンテという馬が登場するあたりから、「転調」し、「私」はすでにドン・キホーテの気分になる。「私」はじつは窮状にあり生家をひそかに訪れ、仏壇の引き出しにあるお金をくすねていく目的があるのだった。絵葉書屋で仮面舞踏会用の紙製の青いマスクを買った。それをかぶって生家を訪れようというのである。「私」は急行の3等列車に乗った。

 列車の轍の響きが私の耳に、ロシナンテ、ロシナンテ――と聞こえた。 私は、列車の洗面所に入り、中から錠を降ろすと、ふところから紙の目覆いを取り出して耳に掛けて見た。そして、黒い頬の鬚を撫でまわしながら、鏡に映る姿に眺め入った。
 「何という巧みな変装であろう、これじゃ自分が見ても自分とは思われない。苦労の甲斐があった。」
 などと呟きながら私は、尖った頭巾を被り、ズボンをとって見ると、黒い肉襦袢一枚で、紛うかたなきメフィストフェレスであった。

 牧野信一は坂口安吾の師匠格で、当初は「私小説」から出発したが、しだいに幻想風、浪漫風の独特の世界を描くようになり、『ゼーロン』では、ゼーロンと名付けた足の不自由な駄馬にまたがり、馬をドン・キホーテのロシナンテに擬し、牧野の故郷の小田原をギリシャ・ローマの古典の世界に見立てる。

牧野 信一牧野信一
 そして、ロビン・フッドもどきに盗賊団の住む森をぬけたり、ノルマンディの海賊の戦いの唄を吹奏しながら、村の因業な酒屋を急襲したりする。

 牧野自身の生活を架空の物語に重ね合わせて描くもので、『変装綺譚』と『ゼーロン』は根っこでつながっている。

 牧野は『ゾイラス』という作品で自作の執筆意図について、「風景と心象の接触点が醸し出す雰囲気の境地に足場を求めて、自己の亡霊を、さながら在り得べき風景の森陰に生せしむべく精根を枯らしていた」と記している。

 牧野信一は不幸にして40歳を目前に自殺してしまったが、冒頭の一節に触れるだけでも、他の凡百の作家とはちがうことが、おわかりいただけるかと思う。

 日本には騎士道物語の壮大なパロディであるラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』や、スイフトの『ガリバー旅行記』など風刺に飛んだ壮大な物語がほとんどなきに等しいが、もし牧野信一がもう少し長生きして旺盛な筆力を維持しつづけていたら、壮大なスケールの「巨大な物語」が誕生したのではないか――牧野の作品に触れると、そんな想像の翼をはばたかせたくなる。

 エロあるいはグロ、ないしナンセンスの「花園」にそっと置くと同時にさらに詳しく触れたい作家として――牧野信一や坂口安吾、内田百閒、さらに

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