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[29]第3章 文学篇(純文学)(9)

横光利一の「純粋小説論」

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

 新感覚派が衰退にむかうなか、一人気を吐いたのが前述した横光利一である。新覚派の「末梢神経的な行き詰まり」に失望した横光は、「純粋小説論」を書いた。その中で、横光は文学には純文学と通俗小説と2通りがあるが、違いは「結局のところ、意見は二つである」という。

 純文学とは偶然を廃すること、今一つは、純文学とは通俗小説のように感傷性がないこと、とこれ以外には私はまだ見ていない。しかし、偶然とは何か、となると、その言葉の内容は簡単に説明されるものではなく、従ってその説明も、私はまだ一つも見たことも聞いたこともないのであるが』(「改造」昭和10年4月)

 さらに横光利一はドストエフスキーの『罪と罰』をひいて、こう論を展開させる。

 この小説には、通俗小説の概念の根底をなすところの、偶然(一時性)ということが、実に最初から多いのである。思わぬ人物が、その小説の中で、どうしても是非その場合に出現しなければ、役に立たぬと思うとき、あつらえ向きに、ひょっこりと現れ、しかも、不意に唐突なことばかりをやるという風の、一見世人の妥当な理知の批判に耐え得ぬような、いわゆる感傷性を備えたあらわれ方をして、われわれ読者を喜ばす。先づどこから云っても、通俗小説の二大要素である偶然と感傷性とを多分に含んでいる。そうであるにもかかわらず、これこそ純文学よりも一層高級な、純粋小説の範とも云われるべき優れた作品であると、何人にも思わせるのである。
 ドストエフスキーに限らず、トルストイやスタンダール、バルザックにも偶然性がなかなか多い。
 ――これらの作品には、一般妥当とされる理知の批判に耐え得て来た思想性と、それに適当したリアリティがあるからだ。

横光利一横光利一=1940年ごろ
 さらに横光利一は「四人称の設置」を主張する。横光の盟友の評論家河上徹太郎によれば、「ここにこそ氏の小説方法論上の疑惑がこめられて」いる。

 こういうことである。三人称まではそれぞれの立場での主観になり、その後に純粋に白紙の立場にある四人称を設置すれば、作中人物の存在が公正かつ立体化されてくる……。

 この時期、横光はドストエフスキーの『悪霊』に熱中しており、この作品に登場する「私」という人物から、ヒントを得たようだ。『悪霊』のなかに顔をだす「私」は、事件にまったく関係することなく、ただ登場人物に寄り添って、いわばナレーターの役割をしているのである。

 つまり「客観」を随所にはさむことで、「主観」と「客観」を織り交ぜた立体的な小説。それこそが、日本文学が狭い「村社会」から脱して「世界文学」として海外でも認知される原動力になる、といいたいようだ。

 横光利一は日本語の表現の限界ぎりぎりの「文体実験」を重ねることで、日本文学の発展を期そうと、『純粋小説論』を書いて訴えたのである。

 しかし、当時の文壇で、これに同調するものは少なかった。狭い「村社会」のなかで生きていた作家や編集者には、そもそも理解の外であったのかもしれない。これは平成の今も一部あてはまりそうだ。

 いずれにしても、本質的に新しいものであればあるほど、ジャンルを問わず、同時代には理解されないものである。

新感覚こそ、時代を切り開く

 「新感覚派」から出てもっとも文学的成果を得、後年ノーベル文学賞を受賞した川端康成は、小林秀雄ほど皮肉な見方をせず、新感覚派の文学について、「表現主義認識論」 で、こう易しく解いてみせる。

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