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『アメリカン・スナイパー』の痛ましさ(中)

戦闘場面の活劇的スリル

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『アメリカン・スナイパー』で描かれる戦闘シーンのある部分は、衝撃的だが活劇感を欠いている。

 とくに、米軍へ情報を提供したイラクの民間人がアルカイダ系武装製力に惨殺される場面、クリスが爆弾を持った子どもや女に銃のスコープの照準を合わせ、葛藤の末に引き金を引く場面、あるいは彼の部隊の仲間が被弾する場面は、ショッキングではあるが、活劇的な興奮を与えない。フィクションだとわかっていても、悲痛さに目を背けたくなる。

 しかし他方、上記以外の戦闘シーンでは、事情がちがう。

『アメリカン・スナイパー』拡大『アメリカン・スナイパー』
 たとえば、自爆テロを狙って車で突っ込んでくる一団を、クリスらがあわやというところで射殺し、爆弾がやや離れた場所で轟音とともに爆発するシーンでは、手に汗握る活劇感が全開する。

 そして奇妙なことに、われわれは(少なくとも私は)、そのシーンを見ているあいだは、それがアメリカによる不法な戦争の一コマであることを忘れてしまっている。

 勧善懲悪劇を見ている気分になって、米軍に感情移入しつつハラハラドキドキしているのだ(まあこれは、アルカイダ系武装勢力の残虐さをわれわれが知っているから、ということもあろうが、米軍による捕虜に対する酷い拷問の事実などは、私の脳裏からすっかり消えている)。なすすべもなく、映像に操られてしまう映画観客の性(さが)というほかはない。

 こうした活劇的スリルが極点に達するのは、終盤で展開される「敵」の名スナイパー、ムスタファ――シリア人の元オリンピック射撃選手――とクリスの対決シーンだ。

 よく言われるように、物陰に隠れている狙撃手は、「敵」に見られるより先に「敵」を見つけ、引き金を引かねばならない(西部劇の決闘のように、正面から向き合って早撃ちの腕を競うのではない)。

 銃撃に先だつのは、望遠スコープという機械を介した視線の勝負であり、どんなに狙撃の名手でも、相手に見られるより先に相手を視認しなければ、相手を倒せない。

 そしてクリスは、ムスタファよりわずかに早く、1920メートル離れた(!)場所に潜んでいたシリア人狙撃手の姿を、スコープの中にとらえ引き金を引く。と、クリスの放った弾丸がスローモーションになり、数秒後、ムスタファの体を射抜く(その瞬間、ムスタファは“殉教"したともいえる)。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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