一切の虚飾をはぎ取った“聖なる映画”
2015年04月24日
傑作『やさしい女』(1969、仏)が、約30年ぶりに上映されている。フィルムから一切の虚飾をはぎ取ろうとした“孤高の映画作家"、ロベール・ブレッソンの初カラー作品だ(原作はドストエフスキーの同名小説)。
むろん本作でもブレッソンは、役者の言動から一切の「芝居臭」をそぎ落としている。
終始、無表情で寡黙だ。心理説明を極端に嫌ったブレッソンならではの演出である。
音響の点でも、人物たちの靴音、ドアの開閉する音、作中でサンダがかけるレコードの曲以外の音は一切なし。つまりBGMが皆無。すべては淡々とした静けさのうちに進行する。
にもかかわらず、鋭利な刃物で断ち切るようなカット割りのリズムとあいまって、研ぎ澄まされたサスペンスが最後まで持続する(ブレッソンの特異な映画術については、2012/11/06、同/11/19、同/11/20の本欄でやや詳しく述べたので、そちらを参照されたい。なお、以下ネタバレあり)。
――パリで質屋を営む男(ギイ・フランジャン、役名なし)は、質草(しちぐさ)を持ってくる若い女(ドミニク・サンダ、役名なし)と付き合いはじめ、彼女に求婚し、まもなく彼女と結婚する。
何を考えているのかは不明だが、おそらく人生に絶望しているらしい虚無的な感じの、美しいが貧しい女(以下、妻)は、男(以下、夫)に動物園で求婚されたとき、結婚なんて無意味、猿真似よとか言う(と、次のショットでは檻の中の木の枝を伝っていく猿が映る。笑いが喉元でストップするような変なギャグ)。
夫は自尊心の肥大したエゴイストらしく、妻は最初からそんな夫を軽蔑しているらしい。「らしい」と書くのは、役者たちがかすかにそのように察知される、まさにブレッソン独特のミニマリズム的――最小限に切り詰められた――演技しかしないからだ。
ちなみにブレッソンは本作がそうであるように、おおむねプロの俳優を使わず、しかも演劇を映画の敵とみなしていた彼は、役者を俳優と呼ばずに<モデル>と呼んだ(洒落ではないが、当時ドミニク・サンダはファッション誌VOGUEのモデルだった)。
さて、結婚当初は平穏な日々が続いたが、次第に夫婦仲はうまくいかなくなる。
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