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加藤登紀子が語る音楽生活50年(上)

「68年はちょっとだけ夢を見た年、それが地に落ちたのが69年」

中川右介 編集者、作家

 私は「クラシックジャーナル」という雑誌の編集長をし、クラシックや歌舞伎、映画、歌謡曲の本などを書いている。そんな私がなぜ加藤登紀子さんと知り合ったのか。
 そもそもは、角川マガジンズの玉置泰紀総編集長がtwitterで登紀子さんと知り合いになり、私も玉置氏とはtwitterで知り合いになり(彼が私の本や「クラシックジャーナル」を読んでいてくれていたからだが)、その縁で知り合ったのだ。Twitterという新しいメディアにも積極的なのが、50年も現役でいられる理由のひとつだろう。
 加藤登紀子は1965年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに出て、優勝し、歌手デビューした。その前年が東京オリンピック。高度経済成長期の真っ只中である。

加藤登紀子 東京オリンピックのあった64年というのはすごい年で、普通の一般市民が自由に外国旅行ができるようになった年なんですよ。最近、初めて知ったんですが、その年にこのコンクールは始まっているんです。

加藤登紀子さん加藤登紀子さん
 最初はエールフランスが主催でした。つまり海外というものをアピールするために、優勝した人をフランスに連れて行って宣伝してもらおうという狙いで始まったの。

 そういう狙いだったから、歌手を育てようなんて、本当は思っていないわけよ。要するに、かわいい子がひとり出てきてくれればよい、というようなことだったんじゃないのかな。

 だって、シャンソン歌手を育てようということだったら、当然優勝した人をレコーディングしようという話になるでしょう。でも優勝しても、そんな話は全然ないんです。

 だから私みたいのが出て来て本気になってがんばっちゃって優勝したもんだから、石井好子さん(日本のシャンソン界の草分け的存在)も真っ青だったという話。

 この前、デビュー曲『誰も誰も知らない』を作詞してくれた、なかにし礼さんと話したとき、「おとき、あの時はみんな青くなっていたよ」と言われたの。「声は低いし、かわいくないし、東大なんか出ているのが優勝かよ、どうする」って。つまり売れる要素、まったくなかったのよ。

 なかにし礼(1938~)は加藤登紀子(1943~)の5歳上で、彼も満州の生まれだ。60年代半ばから歌謡曲の作詞家として活躍していたが、最初はシャンソンの訳詞をしていた。偶然、石原裕次郎と知り合い、訳詞ではなく、日本語のオリジナルの歌を書けと言われて、作詞を始めた。

 シャンソンコンクールには出たけれど、シャンソン歌手を目指していたのかというと、そうでもなかったの。でも、とっかかりはシャンソンね。演歌は目指していなかったわ。

 コンクールの優勝の副賞がフランス旅行だったのよ。エールフランスが主催でしたから。

 それでフランスに行ったら、みんなギターを持って歌っていたの。日本ではシャンソンというと、綺麗なドレスを着て香水を振りかけて歌っていた時代なんですけれど、パリに行ったら、全員、路上で歌っていて、“ああ、全然違うんだ"って思った。

 ジュリエット・グレコも黒いセーターを着て、ボロボロの服で、売り出したんですよ。

 私はそれに刺激されて、ギターを買ってきたんだけれど、なかなか弾けるようにならなくて、そうこうするうちに、ビートルズが66年に来日しました。

 私はというと、シャンソンではレコードデビューできそうもなくて、それなら、もうしょうがないって開き直ったの。わかった、当時、はやっていた『骨まで愛して』みたいな歌でもいい、そういうのも辞さない、私はピープルのために歌うんだというところで決心して、探りながらスタートしました。

 だからデビューの時は、詞も書いていないし、曲も書いていないしギターも弾いていなかった。ギターはそれから始めて、3年くらいは七転八倒しました。

 レコードデビューは66年4月で、なかにし礼が作詞した『誰も誰も知らない』。2枚目のシングルが8月発売の『赤い風船』で、この曲でレコード大賞新人賞を受賞。

加藤登紀子さん (1967年1967年撮影
 そうなの。私の人生は思いもしないことの連続なんだけど、これはその最初ね。

 私の『赤い風船』の翌年の大ヒットがザ・フォーク・クルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』。この曲は革命的でしたね。そのちょっと前から、グループ・サウンズも大流行。一気に音楽シーンが変わっていこうとしていた。

 それからアンダーグラウンドフォーク、そういう流れの中で浅川マキも出てきて、カルメン・マキも出てきて、寺山修司が歌謡曲を書いたりするという、すごい面白い時代ですよ。

生放送で「加藤登紀子を殺せ」

 テレビも素晴らしかった。

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