山家悠平 著
2015年05月21日
格子窓状にくりぬかれたカバーの向こうに女性の表情がわずかにうかがえる。このカバーをはずすとさらに半透明のカバー。ここに、くずした筆記体で「strike」(ストライキ)の文字。この向こう側に、一斉に万歳をしている大勢の娼妓たちの姿が透けて見える(表1、表4)。
『遊廓のストライキ――女性たちの二十世紀・序説』(山家悠平 著 共和国)
これから書店に出回るのは定価を800円下げた並製の新装版だそうで(2400円+税)、売れ行き好調はめでたくもあるが、ちょっと残念でもある。
それはともかく、万歳三唱、破顔一笑の娼妓たちを見ながら(目次扉の万歳カメラ目線写真も実にいい、いい)、紙の本の魅惑を再認識することは、言うまでもないことだがアナクロニズムでも何でもない。
さて、「慰安婦」問題については、特にこのところあちこちで激論が繰り広げられ、いくばくかは知った気になっていた(あくまで「いくばくか」だけど)。
それでも、「慰安婦」制度につながったに違いない公娼制度、管理売春、その下で働いていた女性たちのイメージは、『春駒日記』(森光子)や映画でのありがちな姿を出るものではなかった僕にとって、この本で描かれた史実のディテールいちいちが刺激的だった。
そもそも、明治初頭、司法省から出された芸娼妓解放令には、「娼妓芸妓は人身の権利を失う者にて牛馬に異ならず……牛馬にものの返弁を求める理なし」と書かれていたというが(倒錯した論理!)、その後、「自由意志」で遊廓の世界に入るタテマエの下、公娼制度の実態はどうだったか――。
娼妓たちの多くは、小学校から女中奉公を得て、家計を助けるためにこの世界に入ったが――ここまでは想像がつくが、そこから先が詳しいのだ――これを求人・求職数、就職率、学歴など調査データに基づいて綿密に実証している。
また、契約時の前借金2400円の返済のために、一日あたり1.13円の収入が必要で(公休は月1回で計算)、揚代金(ピンはね)のうち50円が借金返済に当てられ、年間1000人程度の客をとることを6年続けないと「足抜け」できなかったとか、食事も一日2回しか出なかったり、腐ったご飯、豆腐を出された楼もあったとか、廃業したあとの再就職先やその業種、結婚の有無も丹念に紹介される。
こうしたリアルな実像が、博士論文を元にした単著第1作のわりにはこなれた文体で書き込まれている。だから、大正時代末期から昭和初期にかけて、全国津々浦々で楼主に待遇改善を求めたり、集団脱走をして警察に駆け込んで廃業を求めたりするクライマックスが活きるのだ。
ストライキが澎湃として起こった背景に、義務教育期間の延長によって識字率が上昇し、新聞や雑誌を読んだことが大きかったとか(客から読み書きを教わった人もいた)、勃興した労働運動と軌を一にしたという点も(「共産党の人」に逃げることを勧められたりしたケースもあった)、ある意味、歴史の「正調」教科書を補完するかのような事実だ。
また、娼妓の運動に、キリスト教団体(救世軍、矯風会)や労働運動団体が支援(介入?)したところも示唆に富む。
婦人団体の「廃娼」運動が、遊廓での仕事を「醜業」「賤業」として「蔑視」していたこと、そこから娼妓たちを「救済」しようという外部からの視線が伊藤野枝や与謝野晶子たちから批判されていったこと、娼妓たちが遊廓から脱走するにあたって、対警察との関係で、廃娼運動側との温度差、対応のずれを招いたケースがあったこと等々、このあたりも通り一遍の予備知識しかなかった僕には教えられることが多かった。
本書を書くにあたって、娼妓が自分の言葉で残した資料が非常に少ないため、筆者の山家(やんべ)は、北は弘前から南は九州まで、(今でいう)全国紙から地方紙まで、多くの新聞記事を丹念に探し出している。こうした手間のかかる発掘作業が、新しい女性史に結実した。
この本のテーマを、もう少し後の時代の文脈に位置づければ、山家も書いている通り、「従軍慰安婦」の問題に行き着く。副題に「女性たちの二十世紀・序説」とあるところをみると、次の「本論」は「慰安婦問題」だろうか。
[書評]『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い』(朴裕河 著、朝日新聞出版)』 評・奥 武則
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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