「敗戦会見」はたいしたもんだったけど……
2015年05月21日
橋下徹の敗戦会見。
朝日新聞には『風雲児「負けは負け」』なんて大見出しが出て、さわやかに笑う橋下さんの写真も載ってたりして、敗戦の弁としてなかなか見栄えはよかった。
当たり前だ。
どうすれば自分の行動がウケるか、計算してやってるんだから。
(大阪都構想の)否決の速報が打たれた瞬間から、橋下さんは会見でどう振る舞うか考えただろう、みっともなくなく、公明正大な態度に見えるように、市民や視聴者にアピールするために。
あの場で、ああいったことを言い、ああいうさわやかな笑顔を見せるってのが正しいのかどうか、というのはまた別問題です。
ただ、あそこで険しい顔して「反対派がデタラメなネガティブキャンペーンを繰り広げて……」とか「MBSさんに見事にやられましたね」とか言ったりすると、橋下さんを応援してるわけじゃないが「まあまあよくやったんちゃう?」程度に思っている視聴者に、「案外負けっぷり悪りいなーハシモトー」と思われたりするのは得策ではない。
そして、橋下さんはふだん、その手の攻撃的発言はとっても多いので、反橋下の人はそういう部分も嫌っており、そういう人に対しても「え、わりと負けっぷりええやん」と思わせちゃったりもできる。
いやー、反橋下の人は「良心的に生きていかねば」と思ってる人が多いから、そもそも人を悪く思うことに罪悪感があって、こういう笑顔にやられがちだ。憲兵隊の鬼軍曹が捨て猫拾って可愛がってたとか、そういう話に弱い。
そんなわけで、あの敗戦会見は、橋下さんが潔いというわけではなく、橋下さんが計算してかっこつけた結果と思います。なかなかその計算ができる人は少ないから、まあたいしたもんだとも言えるだろう。
しかし、この大阪都構想の住民投票にはドキドキさせられた。大阪市がなくなるというのも大問題だけれど、私にとって「橋下的なものが良しとされるか、そうではないのか」が得票数で決められてしまう、という恐怖があった。
別に1000万人が一方に票を入れて自分が反対票1票だとしても、自分が間違ってるとは限らないわけだが、どうしても投票行動には「勝ち負け」「正しいvs間違い」の気分がついてまわる。橋下さんも敗戦会見で「ぼくが間違ってたんでしょう」と言ってたし。
橋下的、というコトバを使う人はたくさんいて、それぞれ意味合いもちがうようだが、私にとっての「橋下的」とは、
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