青木るえか(あおき・るえか) エッセイスト
1962年、東京生まれ東京育ち。エッセイスト。女子美術大学卒業。25歳から2年に1回引っ越しをする人生となる。現在は福岡在住。広島で出会ったホルモン天ぷらに耽溺中。とくに血肝のファン。著書に『定年がやってくる――妻の本音と夫の心得』(ちくま新書)、『主婦でスミマセン』(角川文庫)、『猫の品格』(文春新書)、『OSKを見にいけ!』(青弓社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「徹子の部屋」、最終回のゲストはこの人で!
長寿番組の、やめるにやめられないツラさ……というのは『笑っていいとも!』を見てればわかったことだけれど、『徹子の部屋』も完璧にそうで、テレビ朝日もやめ時をさぐってるんだろうなあ。
私が中学生の頃(40年前かよ……)、黒柳徹子の講演会なるものに行ったという伯母に「黒柳さんていかにすごい人か!」とさんざん聞かされてすっかり感化された母親が「黒柳徹子のようになりなさい」とか言ってたことを思い出した。
確かにその当時は「黒柳さんは何でも知っていて話術に長けた素晴らしい女性」という評判を『徹子の部屋』によって獲得していた。
同時期、鈴木健二(……って、今この名前出してどの程度の人がわかるのか)が『歴史への招待』とか『クイズ面白ゼミナール』での司会&ナレーションぶりがもてはやされて一世を風靡しており、その二人が「放送界の理想の男女」みたいなことになっていたのだ(なんか誤解をまねきそうな言い方だが……放送界の両横綱とかいうほうが近いのかな)。
しかし、見た目がああな上に、言うことがえらそうで、さらに紅白歌合戦で「私に1分間ください!」で都はるみに迫ったりしたのもトドメとなって鈴木健二はけっこう短い期間のみの人気だった。
黒柳徹子はうまく人気落ちからは逃れていたのだが、『窓際のトットちゃん』のベストセラーはあったけど、基本的に『徹子の部屋』から外には出てこなかったのがよかったのだろう。
『徹子の部屋』は、べつに炎上するような番組でもないので、評価は持続した……というか評価を改めるという機会がなかった。
何かをやらかさない限り、いったん定まった評価はなかなか見直されない、というのが日本である。
一石を投じたのがナンシー関で、『徹子の部屋』における黒柳徹子の、相手からの話の引き出し方のヘタさをズバリと指摘。
確かにほんとにそうで、「相手がしゃべって説明すべきことを自分ですべて言っちゃって、相手は、はいそうです……と言って困る」という場面を、放送事故じゃなくてふつうに見せられてましたもん。
それでなんとなく、あの番組の「黒柳徹子の聞き手としてのワザ」がたいしたことないということを、みんながうっすらと了解している状態が、まあ10年ぐらいは続いて、ふと気づくと黒柳さんのしゃべり方は、あからさまにおばあさんになっていて(まるでマンがのようにフガフガ言うことも多い)ガクゼンとするのだった。
さすがにもうそろそろ番組も終わろうよ……ものには引き際ってものが……いやもう手遅れ……と思わされる。よく知ってる人がゲストに出てくると口もいくらか回るんだけど。
しかし、終わるとなると、よかった時のことも思い出すもので、あれほど『笑っていいとも!』が好きでなかった私も、テレホンショッキングに佐木隆三が出た時は面白かった、とか思い出がわいたものである。
『徹子の部屋』で忘れられないのは、
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