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 配役の点では、人気グループ・サウンズ、ザ・タイガースのリードボーカルだったジュリーこと沢田研二が、主人公役は彼以外に考えられないと思わせるほどのハマリ役だが、すべてに退屈しきったような、頽廃的な虚無感を放つ中学の理科教師の城戸/沢田は、国家転覆を目論む急進的な革命家などではさらさらない。

 世間を騒がせてやろうという愉快犯的な動機すら希薄である。たまたま自分が担当する理科の知識を活用して、ちょっとした気まぐれが高じて原爆づくりに熱中していくだけだ。というか、そうした動機の説明すら、本作ではなされない。

 画面で描かれる城戸は、いつも放心したような無表情で、かったるそうに噛んでいる風船ガムをふくらませ、校庭ではロープをつかんでターザンごっこをし、授業では黒板に数式をびっしり書き込んで生徒に原爆の作り方を教える(!)、変人といえば変人だが、その変人ぶりがことさら誇張されるわけでもない。

 どんなに言動が奇矯(ききょう)であれ、いやむしろそうであればこそ、両性的な美貌の持ち主である沢田研二は、やはり「銀幕」を飾るスターとして、ひたすら格好よく、クールに画面に映えるのだが、ともかく、そうした<無重力的なニヒルさ>を体現できる役者は彼以外にはいまい。

 そうした城戸/沢田のニヒルさは、原爆によって政府に何を要求するのかさえ、じつは何も考えていなかった点に彼が気づく、というところで最も顕著に表れる。

 城戸は思いつくままに、電話で山下警部に、TVのプロ野球中継――大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)対読売ジャイアンツ――を延長して試合終了まで放送せよ、と要求する。

 むろん彼の要求はかなえられるが、原爆と野球中継延長(非日常VS日常)をめぐる非対称のギャップに見る者は意表を突かれ、奇妙なカタルシスさえ覚え、同時にまた、そこでの、放心と集中が混交したような城戸/沢田の虚無的な顔に、目を奪われるのである(城戸の第二の要求はローリング・ストーンズ日本公演、第三の要求は現金5億円だが、その予測不可能な顛末は見てのお楽しみ)。

 ちょっとブンガクっぽく言えば、人生において、人はしばしば、自分は本当のところ何をやりたいのかという、「実存的」な問いにぶつかるだろうが、そうした文脈に引きよせるなら、 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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