宮崎正勝 著
2015年06月18日
「空間から読み解く」という書名に惹かれて買ってみた。「空間革命」(カール・シュミットの言葉)の観点から世界史を概観しようというもので、著者は人類誕生以来の「陸の世界史(小さな世界史)」と、大航海時代以降の「海の世界史(大きな世界史)」に分けて記述をすすめる。
『「空間」から読み解く世界史――馬・航海・資本・電子』(宮崎正勝 著 新潮選書)
(1)四大文明をつくった大河流域の大農業空間(約5000年前)、(2)帝国が形成された諸地域空間(約2600年前)、(3)騎馬遊牧民により統合されたユーラシア空間(約1400年前)、(4)大航海時代に形成された大西洋空間(約500年前)、(5)産業革命以後の地球空間(約200年前)、(6)20世紀後半以降の情報革命による地球規模の電子空間(約20年前)、である。
(4)では「航海」、(5)では「資本」、(6)では「電子」が空間形成の手段(ツール)である。
(1)では現在よりも2度から3度気温の高い状態が続き、海水面の上昇と乾燥化で畑不足が深刻化した。
その結果、大河流域では堤防や水路などの灌漑インフラが整備され、都市を中心にした文明が生まれた。これが第一の空間革命である。
(2)と(3)の空間革命では「馬」が主役である。
この時代、西アジアにはペルシア帝国、地中海にはギリシアの都市国家を経てローマ帝国、インド半島にはマウリア朝、中華世界では春秋戦国時代を経て秦・漢帝国が出現した。
イラン高原から起こったペルシア(イラン)人によるペルシア帝国は、アケメネス朝(前550~前330)ではメソポタミア、エジプト、インダスの三大文明の空間を支配し、ササン朝(226~651)ではローマ帝国と覇権を争った。
インドでは3000年以上前に中央アジアの遊牧民(アーリア人)の馬と戦車を使っての征服が始まった。征服者のアーリア人はインダス文明の担い手だったドラヴィダ人を奴隷化し、バラモン(司祭者)、クシャトリア(武人・貴族)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(奴隷民)からなるカースト制度をつくりだした。
ヒンドゥ教はアーリア人のバラモン教と先住民の信仰を融合させた多神教で、教祖や体系化された経典はないという。ヒンドゥ教のような世界宗教になぜカースト制度があるのか疑問に思っていたのだが、その歴史的経緯が理解できた。
ウクライナのスキタイ人が開発した騎馬・騎射技術はモンゴル高原の匈奴にも伝わり、古代中国では騎馬民族(匈奴)との戦争が歴史の主軸であった。のちの隋・唐帝国(589~907)には遊牧民的色彩が強かった。
7世紀から14世紀は、アラブ人、トルコ人、モンゴル人によって次々とユーラシア規模の帝国が作り出された時代だった。アーノルド・トインビーはこれを「遊牧民の爆発の時代」とよんだ。
イスラム教を興したムハンマドのあとを受けてウマイア朝(661~750)、アッバース朝(750~1258)と続くイスラム帝国が生まれた。イスラム商人の商業ネットワークは、中央アジアの草原の道やシルクロードを使って東アフリカから中国に及ぶ大商業空間を生み出し、東西文明の交流が進んだ。
不老不死の薬をつくる中国の煉丹術をヒントにイスラム世界で錬金術が盛んになり、蒸留器などの実験器具や科学知識が発達、蒸留器はイスラム世界では香水を作るための、ユーラシアの東・西ではウイスキー、ブランデー、ウオッカ、焼酎などの蒸留酒をつくるための道具になったとのエピソードも紹介されている。
イスラム帝国を「第一次ユーラシア帝国」とすれば、モンゴル帝国はそれを一回り大きくした「第二次ユーラシア帝国」である。
モンゴル帝国は、元(中国)、イル・ハーン国(イスラム世界)、オゴタイ・ハーン国(中央アジア東部)、チャガタイ・ハーン国(中央アジア西部)、キプチャク・ハーン国(ロシア)からなる空前の大帝国であったが、100年余りであっけなく崩壊した。
この時期、やはり中国で不老不死の薬をつくる過程で発見された火薬が伝えられたヨーロッパで鉄砲・大砲が開発され、軍事面での馬の時代を終わらせることになった。ここまでが「陸の世界史(小さな世界史)」である。
15世紀半ば以降、ポルトガルによるインド航路の発見、スペインの南北アメリカ大陸への到達、大西洋さらに太平洋航路の開発で世界は大きく広がった。
しかし、16世紀後半からはオランダ、ついでイギリスが海洋国家に舵を切った。両国とも東インド会社を設立しアジアへの進出を図ったが、それぞれチューリップ・バブル事件(1637)、南海泡沫(バブル)事件(1720)で投機バブルの洗礼を受けた。
資本主義の成長を牽引したのは、17世紀以降カリブ海域に広がったサトウキビのプランテーションだった。
カリブ海域ではスペイン人が持ち込んだ天然痘・インフルエンザによって先住民が絶滅状態になっていた。イギリスやフランスなどのヨーロッパの商船は、西アフリカで奴隷を購入し、そのあと西インド諸島で奴隷をサトウ、綿花などと交換、ヨーロッパへ戻り、サトウ、綿花を売却した。「白い積み荷」(サトウ)と「黒い積み荷」(黒人奴隷)が大西洋三角貿易の主商品だったのである。
こうしてサトウの消費が拡大し、ヨーロッパの人々の大衆調味料となった。商人たちは、サトウに合わせてイスラム世界の珈琲、中国の紅茶、新大陸のカカオ(チョコレート)を食卓に持ち込み、嗜好品文化をも成長させた。
(5)の産業革命以後の地球空間では、国民国家の誕生をアメリカ独立戦争に見て、フランス革命はこの連続線上で起きたとしている。
19世紀後半、ヨーロッパで国民国家の建設が加速するが、市民の基本的人権よりも民族の統合が重視されてきたと著者は指摘する。
近代以降の歴史は、どうしてもパワー・ポリティックスの面が強くなる。世界支配をめぐる帝国間の争いがそのまま持ち込まれた20世紀の中国現代史は、「最悪の状態の下で、生存のための戦いとして展開され」たことは覚えておいたほうがいいだろう。
人類5000年の歴史を300ページで概括した本だが、数々の教科書的世界史を手がけてきた人だけに、記述はわかりやすく、こなれた通史となっている。
イスラムや遊牧民の歴史に厚く、脇道にそれたエピソードも面白い。これまでの西ヨーロッパ中心の西洋史、中国中心の東洋史を超えて、歴史過程のなかで中心(地域)が次々と移動してゆく世界史の空間が描き出されている。
それにしても、なんとも争いに明け暮れてきた人類の歴史であることか。(6)の20世紀後半以降の電脳空間でも、争いは繰り返されるのだろうか。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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