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[書評]『日本の反知性主義』

内田樹 編

今野哲男 編集者・ライター

単一性の支配を忌避する――他者との相違と摩擦が担保される場所の必要  

 2014年の『街場の憂国会議――日本はこれからどうなるのか』(晶文社)に続いて、目下の「安倍政権による民主制空洞化」の策動を前に、編者の内田樹が、「その見識を高く評価する」という複数の論者に執筆を依頼してまとめあげた、緊急論考第2弾と銘打つ寄稿集。

 「まえがき」にある執筆者たちに送った寄稿の依頼文に、「反知性主義は……為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に……深く食い入っていることは間違いありません。……『日本の反知性主義』というトピックにどこかでかかわるものであれば、どのような書き方をされても結構です」とある通り、緊急とは言いながら、各論考の間に何らかの政治的な意図が予め共有されているわけではなく、全体的に緩い相互信頼を思わせる空気の漂うなかで、むしろ執筆者各人の不均衡な異質性がじっくり確認・玩味できる、今どき珍しいアゴラ(広場)のような、「知的」な成熟を感じさせる本だ(念のために言っておくと、これは必ずしも個々の論考が成熟しているということを意味しない。むしろ、いろんな意味でレベルの異なる論考が、巧まずに同居するさまに、かえって「知的」で文化的な成熟を感じるということである)。

『日本の反知性主義』(内田樹 編 晶文社) 定価:本体1600円+税拡大『日本の反知性主義』(内田樹 編 晶文社) 定価:本体1600円+税
 ところで、本書で言う「知的」とは具体的にどういうことなのだろうか。

 それがわからないと、そもそも本書の言う「反知性主義」がわかるまい。

 だから、そのことについては、編者の内田が、冒頭にある自身の「反知性主義者たちの肖像」という論考のなかで、定義などという野暮なやり方とは一風異なる巧みに柔らかい語り口で、ロラン・バルトが「無知」について語った卓見を援用しながら、抜け目なくこう言及している。

 「『自分はそれについてはよく知らない』と涼しく認める人は『自説に固執する』ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて『得心がいったか』『腑に落ちたか』『気持ちが片付いたか』どうかを自分の内側を見つめて判断する(――斜体筆者)。そのような身体反応を以て差し当たり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人だとみなすことにしている」と――。

 つまり、知的であるとは、物理的な知識の量や、マニュアル風の規範に対する遵守性といった数値化できるもの差しとは、無縁のところで成立する概念だということだ。

 そして、この内田の言葉は、次の「反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴」と題する論考で、白井聡が国家安全保障担当の内閣総理大臣補佐官である礒崎陽輔参議院議員が言った「立憲主義という言葉は聞いたこともない」という失言について語った、「礒崎が……曝け出したのは、『自分が興味がなく知らないことは知るに値しない』という精神態度」であり、「己の知の限定性を知る(ソクラテスの無知の知)ことこそが知的態度の原型だとすれば、この態度は知的態度の対極に位置するものとみなしうる」という言葉と共振する。

 つまり、読む者は、白井の論考によって、礒崎は、東大法学部を出ていてもなお(あるいは東大を出ているからこそと言うべきか)、「自分の内側を見つめて判断する」という、内田の言う知性的な態度とは対極にある人だと、巧まずして重ねて得心がいくのである。

 似たような共振は、たとえば、「戦後70年の自虐と自慢」という平川克美の論考にも感じた。

 平川は、戦後70年を経て、国連で安倍内閣総理大臣が行った、「議長、来年私達は、国連発足70年を寿(ことほ)ぎます」の一句で始まる、戦争における自国の加害者性については一言たりとも言及せず、ただ戦争の暴虐を憎むとだけ言明した一般討論演説を引用して、「ここに引用した部分の前段は、アフリカの健康問題に対処するために5億ドルを準備したこと、……などの自慢話が続いている。……戦争の加害に一切言及せずに、戦争の暴虐を憎むなどと何故言えるのか。そこにあるのは、自分たちの過去を直視することをしない、歴史からの責任回避の姿勢である」と嘆く。

 そして、旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、ドイツ終戦40年式典(1985年)で行った「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」という歴史的な一句を含む演説を引き合いに出し、それと比して、「責任回避と自慢話」でゴチャゴチャになった安倍演説の珍妙さを憂えるのである。

 ここにも「自分の内側を見つめて判断する」知的な態度がないという声が、重なり響いていると感じるのは筆者だけではないと思う。

 共振の例を、もう一つだけ挙げよう。「まえがき」にある内田の言である。

 ――「この共同研究は、別に統一的な『解』をとりまとめることをめざすものではありません。一つの論件をできるだけ多面的に、多層的に、多声的に論じてみたいというのが編者の願いです。寄稿者のおひとり鷲田清一先生が引いてくれたエリオットの言葉にあるように、……『(相違が)多ければ多いほど……単に一種の闘争、嫉視、恐怖のみが他のすべてを支配するという危険から脱却することが可能となる』という『摩擦』の原理に私も賛同の一票を投じたいと思うからです」

 上の言葉にある通り、異なるものとの共振は、異なる未知の他者と共存する可能性に向かってひらかれた、「知性」が持つ得難い果実の一つに違いない。

 最後に、その僥倖を待ち望む編者が書きつけた、この国の未来に向けての励ましのマニフェストとも聴こえる、次の美しい一節を引用しておこう。

 ――私は、知性というのは個人に属するというより、集団的な現象だと考えている。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行う。その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体を「知性」と呼びたいと私は思うのである。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

今野哲男

今野哲男(こんの・てつお) 編集者・ライター

月刊『翻訳の世界』編集長を経てフリーに。「光文社古典新訳文庫」に創刊以来かかわり、また演劇体験をいかして『セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」』全4巻(藤原書店)を編集。ライター、インタビュアーの仕事に、鷲田清一『教養としての「死」を考える』、吉本隆明『生涯現役』、木村敏『臨床哲学の知』(以上、洋泉社)、飯沢耕太郎『戦後民主主義と少女漫画』(PHP新書)など。現・上智大学非常勤講師。