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 『ションベン・ライダー』のすべてのシーンが、貯木場の場面のような大ロングショットで撮られているわけではない。ロングではあるが、もう少しカメラが少年少女らに寄って、彼らの「内面」に触れようとする場面もある。

 たとえばブルース/河合美智子が、銭湯(男湯)で胸と腰にタオルを巻いて、女言葉を使う変な男に、自分は男だと言い張る奇妙なシーン。

相米慎二拡大相米慎二
 胸と腰をタオルで隠したブルースが、そのオカマらしき男に「あなた、男? 女? どっちなのよ」と言われる(!)その場面では、しかしながら、見る者はなぜか笑えない。ブルースの危なっかしい姿に目を奪われながらも、ある居心地の悪さを感じるからだろうか。

 ともあれそこでは、ブルースが自らの性について抱く不安定な思いも、「心理」や「感情」としては説明されない。

 それはもっぱら、胸と腰をタオルで覆った半裸の恰好でぶっきらぼうにセリフを発するブルース/河合の、いわば変則的なコスチューム・プレイ=衣裳劇として描かれる。

 もっとも彼女は、そこで偶然居合わせたヤクザ同士の会話から、デブナガ誘拐についての重要な情報をキャッチするゆえ、この場面は物語上でも不可欠なシーンだ(銭湯の鏡を巧みに使った構図にも注目)。

 また前半の終わりころの、初潮を迎えたブルース/河合が、ほとんど無表情のまま、海に身を浸していく哀切なシーン。

 カメラは本作では例外的と言っていいほどブルースに寄る(ほぼバストショット)。だが、そこでも彼女の心理の説明は極力抑えられる。

 思春期の彼女の不安定な「内面」を、相米は決してわかりやすい形で観客に差し出しはしない。長回しのカメラがとらえるのは、正面を向いたブルースの顔と、彼女を取り囲んでたぷたぷと質感豊かに揺れる青黒い海水だけだ。

 しかしこの場面は、粘りつくような感触をたたえた水の映像の卓抜さと、表情を変えずに海に入っていくブルースの姿とがあいまって、オフビートな哀感漂う名シーンとなっている。

 ジョジョ、辞書ら少年の場合も、事情は変わらない。彼らも一度ならず、なぜそうするのか理由のはっきりしない唐突さ、突拍子もなさで、大人の前に立ちはだかったり、唄い出したり踊り出したりする。

 そうした予測不能な身体運動に、思春期の少年の屈託、いらだちのようなものは垣間見えるが、それはやはり明快に説明されはしない。あくまで動機づけを欠いた突飛なアクションとして、画面に生動するのである。

 貯木場のクライマックスとならんで、ラストの、山と政が立てこもる横浜のアジトでの活劇シーンも驚愕のヤマ場だ。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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