「若返り」と「意外性」までは伝統を踏襲したが……
2015年06月26日
ベルリン・フィルハーモニー(以下、ベルリン・フィル)の次期首席指揮者がキリル・ペトレンコ(1972~)に決まり、クラシックファンを驚かせている。
ベルリン・フィルは1882年に音楽家たちが結成したオーケストラだ。一般にオーケストラは、国立や州立の歌劇場の専属や、公営の放送局に所属しているケースが多いが、ベルリン・フィルは楽団員が自主運営している(もっとも、ナチス時代は経営難に陥り国営になったし、戦後の東西ドイツ分裂時代は西ドイツ市の市営だった)。つまり、楽団員のみが株主の会社のような組織だ。
今回は、2018年で現職のサイモン・ラトル(1955~)が退任すると決まっているので、その後任選びが数カ月にわたりなされ、ようやく決定した。
次期首席指揮者に決まったペトレンコは1972年生まれで、指揮者として来日したことはなく、またCDも数枚しかないので、日本のクラシックファンには馴染みがない。
なぜ世界一のオーケストラが、日本では無名に近い指揮者を選んだのかと話題になっているのだ。
当初、日本で下馬評に上がっていたのは、ダニエル・バレンボイム(1942~)、クリスティアン・ティーレマン(1959~)、アンドリス・ネルソンス(1978~)、グスターボ・ドゥダメル(1981~)で、ペトレンコの名はなかった。
日本の新聞のなかには、バレンボイムとティーレマンが最有力だと報じていたところもあったが、私はこの二人だけはありえないと思っていた。
なぜなら、このオーケストラは常に前任者よりも一世代か二世代若い指揮者を次期首席指揮者に選ぶという伝統があるからだ。そしてもうひとつ、本命視されている人は絶対に選ばない。
ベルリン・フィルのこれまでの首席指揮者ではカラヤン、フルトヴェングラーが有名で、いずれも歴史に残る大指揮者だ。
だが、彼らもまたベルリン・フィル首席指揮者に決まった時は、意外だと思われたのだ(この経緯を詳しく知りたい方は拙著『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書)をお読みいただきたい)。
過去の主な首席指揮者が、それぞれ何歳でベルリン・フィルの首席に就任したかを記す(生年-没年、就任年とその年の年齢)。
ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894) 1887年に47歳で就任、62歳で退任
アルトゥール・ニキシュ(1855-1922) 1895年に40歳で就任、在任中に66歳で死去
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954) 1922年に36歳で就任、ナチ時代に辞任して客演指揮者となり、戦後に首席に復帰し在任中に68歳で死去
セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996) 1945年に33歳で就任し、フルトヴェングラー不在時に活躍、54年まで指揮
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989) 1955年に47歳で就任、81歳で辞任し直後に死去
クラウディオ・アバド(1933-2014) 1990年に57歳で就任し、69歳で任期を終える
サイモン・ラトル(1955-) 2002年に47歳で就任し、63歳で任期を終える予定
キリル・ペトレンコ(1972-) 2018年からの予定、46歳
これを見ると、まず「若返り」という伝統があることが分かる。30代、40代と若い時期に就任し、さらに、前任者との年齢差は20歳近くある。
フルトヴェングラーは前任のニキシュとは30歳も離れていた。アバドが57歳と例外的に「若くない」が、前任のカラヤンが81歳までそのポストにあったので、この時でも81から57へと24歳も若返ったことになる。
もうひとつの伝統は、「意外な人選」である。
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