本の存在と内容、2種類の批判に反論する
2015年07月02日
6月10日に太田出版から刊行された、神戸連続児童殺傷事件の加害者の手記『絶歌』は、発売とほぼ同時に(一部は発売前から)、ネット上で、新聞紙上で、少し遅れて週刊誌でも、批判の集中砲火を浴びた。
批判は、この本の存在そのものに対する批判と内容に関する批判と、大きく二つに分かれる。
第一の、あのような残虐非道な事件の加害者の手記など出版すべきではない、という批判は、日本国憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」に抵触する恐れがある。
もちろん、出版の自由も、他の自由と同様、無条件にすべて保障されるわけではない。日本国憲法発効後にも多くの発禁本や回収命令はあり、その措置が違憲とされたわけではない。
憲法の条文では、12条の後半「国民は、これ(=この憲法が国民に保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」が、縛りとなる。
『絶歌』の出版が公共の福祉に全く資することのない、出版の自由の濫用と言えるかどうかは、議論すべき問題かもしれないが、「濫用」という言葉は、出版の自由が保障されていることを前提とする。
『絶歌』の著者(「元少年A」、本文中の表記に倣い、以下Aとする)は、事件後、司法の判断で医療少年院に6年5ヶ月入所して退院、保護観察期間も無事に過ごし、2005年元旦に本退院、その後は何の法的拘束のない一市民として生活している。
犯罪被疑者や刑確定者にも適用される基本的人権は、現在のAには、原則的には全面的に保障されるべきではないだろうか?
Aのような犯罪者に印税が渡ること、その額が『絶歌』の刷り部数からいって、通例に従えば結構な額になることへの批判については、
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