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[書評]『戦争をしない国』

矢部宏治・文 須田慎太郎・写真

高橋伸児 編集者・WEBRONZA

天皇の言葉をいま静かに受け止める意味  

 白地のオビに、「あなたは、天皇の言葉に耳を傾けたことがありますか?」とある。

 天皇陛下が有り体に言えば「リベラル」(表現が有り体すぎるのだけど)であることは、折に触れての様々な発言から多少知ってはいた。だが、この本で、皇太子時代からの言葉を通観するに、「平和」への強い思いと、その筋の通り方に並々ならぬものがあることをあらためて知った。

 本書は、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)で日本の歪(ひず)んだ政治構造をえぐり出して大ヒットさせた矢部宏治氏が、「明仁天皇」(以下、本書の用例通り「明仁天皇」とする)の「声なき人びとの苦しみに寄り添」った「光もつ言葉」を紹介し、戦後日本の足跡をたどったものだ(矢部氏が「地の文」を書いてはいるが、明仁天皇の言葉と各地のイメージ写真<撮影・須田慎太郎>をセットにしたつくりは、同じ小学館から出た超ベストセラー『日本国憲法』<1982年>を思い出させる)。

『戦争をしない国――明仁天皇メッセージ』(矢部宏治 文 須田慎太郎 写真 小学館) 定価:本体1000円+税『戦争をしない国――明仁天皇メッセージ』(矢部宏治・文 須田慎太郎・写真 小学館) 定価:本体1000円+税
 さて、極東軍事裁判でA級戦犯たちが起訴されたのは、昭和天皇の誕生日、1946年4月29日。7人の戦犯が絞首刑にあったのは1948年12月23日。この日どりを設定した占領軍の意図はあからさまだ。

 1948年当時15歳を迎えた明仁天皇はその後も、「自分の誕生日を爽やかな気持ちで迎えられたことは一度もなかったでしょう。……この15歳の誕生日に受けた衝撃が、明仁天皇の長い長い、まもなく70年におよぼうとする『思索の旅』の根底に、つねにあった」という。

 その「思索の旅」の内実は、次のよく知られる言葉が象徴的だ。

 「日本ではどうしても記憶しなければならないことが4つあると思います。[終戦記念日と]広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日、この日には黙とうをささげて、いまのようなことを考えています」(1981年8月)

 そして、詳細に紹介される明仁天皇のテーマは、戦争、沖縄、中国や韓国などアジア諸国との関係、歴史認識、原爆と核兵器、東日本大震災と放射能汚染、日の丸・君が代と教育……と多岐にわたる。これらはいずれも、いまの日本が抱えている政治的な争点ばかりであることにあらためて驚かされる。たとえば――。

 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。……当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」(2013年12月18日)

 自民党の憲法改正草案は、その第1条で、「天皇は、日本国の元首」とするが、この明仁天皇の言葉と、どこにどう整合性があるというのだろう。

 「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております。……沖縄の歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めであると思っています」(1996年12月19日)

 サンフランシスコ講和条約の発効から61年後の2013年4月28日に政府主催で開かれた「主権回復の日」の式典は、「沖縄が本土から切り捨てられた日」として沖縄から猛反発を受けた。だが、天皇皇后両陛下が出席されたその式典で突然起こった「天皇陛下万歳」の三唱。声を上げた彼らはいったい、沖縄を10回も訪問した明仁天皇の営為の何を、どう評価して万歳を繰り返したのか。

 さらに、戦後70年の今年――。

 「本年は終戦から70年という節目の年に当たります……この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」(2015年1月1日)

 学ぼうともしないどころか、戦争にまつわる歴史を修正したいかのような政治家、言論人……はこの発言をどう受け止めるのか。

 戦後70年、そして、憲法や安全保障に関して根本的な転換期になるかもしれない2015年の夏、本書の視点は実にタイムリーだと思う。

 最後に矢部氏は、「付録」として、(1)専守防衛、絶対に先制攻撃を行なわない最低限の軍事力はもつ、(2)外国軍の駐留は認めない、この2点を憲法に書き込むことで憲法を機能させる、という「私自身の考え」を書いている。

 この「付録」での持論と明仁天皇のメッセージとは一切結びつけられていないのだが、ここは「天皇の政治利用」を避けるためのギリギリの慎重さだろう。

 実際、ネット上では、天皇の一連のメッセージを「安倍首相に音読させたいくらいだ」という賛辞もあれば、ツイッターで推薦した政治家に対して「サヨクが天皇を政治利用している」という批判もある。

 一方で、主権回復の日の式典の「天皇陛下万歳」の三唱も引いて、「皇室の政治利用とも思える、保革、内外の『錦の御旗』の奪い合いのような状況」になっているという「憂い」も公言されるようになった(平山周吉「天皇皇后両陛下の『政治的ご発言』を憂う――小泉信三の『帝王学』と戦後70年」、『新潮45』2015年7月号」)。

 明仁天皇が戦争や平和について発言すればするほど、賛同と戸惑いが交錯する。これ自体、“国論”の分裂ぶりの現れだろうか。

 僕自身、通読しながら、天皇の姿勢に、言葉に、共感を覚えつつ、「国政に関する権能を有しない」(憲法第4条)象徴天皇制の下での発言には、距離感を保っておきたいという思いがある(その意味では、「安倍首相に音読させたい」なんてナイーブすぎる)。

 おそらく、本書で紹介された天皇の発言で議論が起こるなんていうこと自体が危ういのだろう(「付録」は大いに論争的だ)。政治的喧噪の外で、いま象徴天皇の言葉をただ静かに受け止めるということ。この本は、難しい問いを投げかけている。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。