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元少年A『絶歌』の時代と物語を読む(上)

なぜ既視感がつきまとうのか?

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

 1990年代とは、いったいどのような時代だったのか。

 その前半についていえば、人々はまだ楽観的な気分を持続していた。株価も地価も下落し、企業の業績も急速に悪化していたものの、バブルの余韻はまだあちこちに残っていたのである。たとえば、泡沫風俗の象徴とされる「ジュリアナ東京」が開業したのは、91年の5月であり、営業を終えたのは94年の8月である。

 90年代の本質が露わになったのは、1995年である。

 1月の阪神・淡路大震災と3月の地下鉄サリン事件という災厄だけではなかった。

 住専7社の不良債権が6兆円と判明し、円相場が東京市場で80円を突破するなど日本経済がいよいよ軋み始めた。呼応するように日経連が『新時代の「日本的経営」』を発表し、戦後雇用慣行との決別を明言した(リストラも進行していた)。

 さらに東京の真夏日が101年ぶりに37日連続し、気候もまた明らかな変調を示し始めたのである。禍々しいものは、明らかにこの頃発生した。

兵庫県神戸市長田区拡大神戸市長田区の被災地=1995年1月18日
 神戸市須磨区に住む少年は、小学6年生のときに大震災を体験した。

 すでに猫殺しの常習者だった彼は、父親とともに長田区や東灘区の被災地を訪れ、人々が築き上げた街や暮らしが「こんなにもあっけなく崩れ去ってしまうものなのか」と感じる。

 さらに2か月後のオウム真理教事件を重ねて、「体内に巨大な虚無がインストールされ、後の僕の思考スタイルにはかりしれない影響を与えた」とも書いている。彼が猫殺しに飽きて、人間の殺害に関心を持ち始めたのは、この頃のことらしい。

 2年後、彼は自身の欲望を実現した。

 少年Aとはどのような存在であったのか。

 この問いに対して、「僕は典型的な九十年代の子供(ナインティーズ・キッド)だった」と彼は書いた。90年代の時代性こそ、自分のバックグラウンドである。生の意味があいまいになり、死者がかんたんに数字になる時代。人々の心が「物質的なもの」から「精神的なもの」へ急速に移行していく時代。自分は、そんな「“身体性欠如”の時代」に翻弄された者である、と。

 この弁明のような一言に、『絶歌』の本質があると私は思った。

 本書は

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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