メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

元少年A『絶歌』の時代と物語を読む(下)

再び封印された「酒鬼薔薇聖斗」

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

 私の感じた既視感の原因は述べたとおりだが、翻って「元少年A」という著者への疑念にもつながっている。

 特に第1部には違和感があった。ゴーストライターがいるのではという指摘があるのも知っているし、著書の個人性や実在性という観念がある種の幻想であることもわきまえている。ただ『絶歌』に感じる居心地の悪さは、そうした訳知りの分別では処理できないたぐいのものだ。ここには書かれるべきであるのに書かれていないことが、あまりにも多いからだ。

 いまだに「酒鬼薔薇事件」には、多くの謎が残されている。タンク山での淳君の絞殺に始まり、首の切断と搬送、自宅への隠匿、母校正門への遺棄など、供述調書として流布された文書(『文藝春秋』98年3月号掲載)に書かれた、この事件のもっとも凄惨な場面には、いくつもの不合理がある。冤罪説さえ語られた。勉強熱心なAが、そのことを知らないはずはない。

 ところが『絶歌』を注意深く読むと、重要なシーンはことごとく割愛されている。または抽象的な描写に置き換えられている。

 文学気取りと揶揄されたレトリカルな文章とは異なる、詳細な手続きを描いた文章も散見するから、原稿かゲラの段階で具体的な描写についてかなり大規模な手入れがなされ、削除・改変されたと推測できる。

 たとえば自宅に運んだ被害者の首を校門に置こうと思い立ったAが、深夜家を抜け出すシーンがある。供述調書では、階段を使うと両親に気づかれると思い、2階の窓から下に降りたと語っているが、家の構造から見てこの行動はきわめて困難だと言われている。

 『絶歌』のこの場面は、奇妙な文学的修辞が施されており、カーテンの裂け目を胎内から外界への出口と見立てて、「僕は外界の処女膜を破り、夜にダイブした」とだけ書いている。比喩を使った言い回しは文飾ではなく、何かを隠すためではないのか。

、頭部が見つかった友が丘中学校正門付近 拡大被害児童の頭部が置かれた中学校の正門付近=1997年5月
 中学校の正門に首を置く場面にも疑念がある。
・・・ログインして読む
(残り:約1192文字/本文:約1991文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

菊地史彦の記事

もっと見る