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『火花』と松本人志さんをめぐる個人的妄想

芸人として生きること、小説を書くということ

矢部万紀子 コラムニスト

 『火花』を読み終わった瞬間、ふっと頭に「トカゲのおっさん」が浮かんできた。松本人志さんがフジテレビ「ダウンタウンのごっつええ感じ」で演じていたキャラクターだ。

 不思議な感覚だった。本当にふっと浮かんできたのだ。

 なぜだろうかと考えたところ、ネタばれしない程度に解説するに、『火花』のエンディングとトカゲのおっさんが、「異形」という意味で重なったからかもしれない。そう一応は解説できた。

芥川賞受賞後、初めてライブの舞台に立った「ピース」の又吉直樹さん(左)=千葉市のよしもと幕張イオンモール劇場、よしもとクリエイティブ・エージェンシー提供拡大芥川賞受賞後、初めてライブの舞台に立った「ピース」の又吉直樹さん(左)=千葉市のよしもと幕張イオンモール劇場、よしもとクリエイティブ・エージェンシー提供
 でももっと言うなら、『火花』という作品のもっている空気は、「トカゲのおっさん」と似ていると思う。

 切なさとやさしさが流れている。やさしさが切なさになり、切なさがやさしさになっている。松本さんのコントは、笑えるけど泣けるのだ。『火花』もそうだった。

 漫才師の主人公・徳永が、師と仰ぐ先輩漫才師・神谷と出会うシーンから始まる。熱海の大花火大会の真っ最中で、誰も漫才など聞いていない。

 神谷が舞台上で女言葉を使っている。「私ね霊感が強いからね顔面見たらね、その人が天国に行くのか地獄に行くかわかるの」。そして通行人一人ひとりを指差して、「地獄、地獄、地獄、地獄、地獄」と続けている。

 この文章の句読点の打ち方なども、とても達者だと思うのだが、もちろんそれだけではない。神谷が突然、動きを止める。その指先には、母親に手を引かれた幼い女の子がいる。見ている徳永が緊張する。

 次の瞬間、神谷は満面の笑みを浮かべて「楽しい地獄」と優しい声でささやき、「お嬢ちゃん、ごめんね」と続けるのである。徳永が神谷に心をもっていかれる1ページ余りの漫才のシーン。

 読み手である私も、完全にもっていかれた。「僕は、その一言で、この人こそが真実なのだとわかった」とある。私も又吉さんの真実がわかった。ちゃんとした作家だ。

 『火花』を買って持って歩いていたら、ある人に「へー、読むの?」と聞かれた。

 この「へー、読むの?」は古館伊知郎さんが番組で発したというコメント、「芥川賞と本屋大賞の区分けがなくなってきた気がします」の系譜に連なるものであろう。有体に言うと、「読んでませんが、人気芸人だから受賞させたんでしょ」である。

 それに対し、我が口から反射的に出た言葉は、

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筆者

矢部万紀子

矢部万紀子(やべ・まきこ) コラムニスト

1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長をつとめた後、退社、フリーランスに。著書に『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)、『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)。最新刊に『雅子さまの笑顔――生きづらさを超えて』(幻冬舎新書)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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