芸人として生きること、小説を書くということ
2015年07月28日
『火花』を読み終わった瞬間、ふっと頭に「トカゲのおっさん」が浮かんできた。松本人志さんがフジテレビ「ダウンタウンのごっつええ感じ」で演じていたキャラクターだ。
不思議な感覚だった。本当にふっと浮かんできたのだ。
なぜだろうかと考えたところ、ネタばれしない程度に解説するに、『火花』のエンディングとトカゲのおっさんが、「異形」という意味で重なったからかもしれない。そう一応は解説できた。
切なさとやさしさが流れている。やさしさが切なさになり、切なさがやさしさになっている。松本さんのコントは、笑えるけど泣けるのだ。『火花』もそうだった。
漫才師の主人公・徳永が、師と仰ぐ先輩漫才師・神谷と出会うシーンから始まる。熱海の大花火大会の真っ最中で、誰も漫才など聞いていない。
神谷が舞台上で女言葉を使っている。「私ね霊感が強いからね顔面見たらね、その人が天国に行くのか地獄に行くかわかるの」。そして通行人一人ひとりを指差して、「地獄、地獄、地獄、地獄、地獄」と続けている。
この文章の句読点の打ち方なども、とても達者だと思うのだが、もちろんそれだけではない。神谷が突然、動きを止める。その指先には、母親に手を引かれた幼い女の子がいる。見ている徳永が緊張する。
次の瞬間、神谷は満面の笑みを浮かべて「楽しい地獄」と優しい声でささやき、「お嬢ちゃん、ごめんね」と続けるのである。徳永が神谷に心をもっていかれる1ページ余りの漫才のシーン。
読み手である私も、完全にもっていかれた。「僕は、その一言で、この人こそが真実なのだとわかった」とある。私も又吉さんの真実がわかった。ちゃんとした作家だ。
『火花』を買って持って歩いていたら、ある人に「へー、読むの?」と聞かれた。
この「へー、読むの?」は古館伊知郎さんが番組で発したというコメント、「芥川賞と本屋大賞の区分けがなくなってきた気がします」の系譜に連なるものであろう。有体に言うと、「読んでませんが、人気芸人だから受賞させたんでしょ」である。
それに対し、我が口から反射的に出た言葉は、
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