近衛文麿 著 伊藤武 編
2015年08月21日
戦後70年は、近衛文麿歿後70年。死のほぼ10年前、第一次内閣を組む前年8月に刊行された論集が、装い新たに復刊された。
同時に、本書に集約された論法や表現に新たな魅力を感じる人は、注意すべきだろう。
彼は文筆で生きた人ではない。こうした「卓論」を熟議することなく、日本の方向を誤らせた政治家である。戦争の全責任を彼一人に帰するのは不適切だが、軍人にのみ転嫁するのは、さらに危険だ。
「新刊」として本書の価値を高めているのは、筒井清忠氏の解説。概論ふうでなく、焦点を絞って課題を的確に明示した執筆者と、依頼した編集者に敬意を払いたい。
とはいえ、『近衛文麿――教養主義的ポピュリストの悲劇』(岩波文庫)の著者に導かれ、文麿の(当時の)明敏と限界が指摘されればされるほど、その後の迷走ぶりに想いが及び、憤りも生じるが。
ともあれ本書は、多くの「戦後70年本」とは格が違う。張りぼての一夜城と、正真正銘の本丸との違いと言ってもよい。
しかも、初版と同じ版元による刊行。昨今の出版状況を考えれば、実に貴重だ。煩わしい漢字はかなに改め、理解しづらい固有名詞には注を付している。
巻末の年表によれば、5月に斎藤隆夫議員の粛軍演説、11月に日独防共協定調印。
その間に、初版は世に出た。貴族院議長3年目。内容は、2度の渡航体験(最初はパリ講和会議のための渡欧)で得た所見、貴族院への提言、2.26事件(刊行の半年前)直後に受けた米国通信社の質問への回答と、「清談」というには生々しい内外の「政事」への言及である。
前半の『身辺瑣談』に、乃木希典に服装を叱られた話が出てくる。筒井氏の前掲書によると、文麿は学習院長の乃木に傾倒していたが、本書でその感情を抑え、叱責の追想だけに留めたのは「ポーズ」だったという。
これを、ドイツ語で苦しめられた一高時代の教師、岩本禎の回想と比べると、その差が鮮やかだ。つまり、大衆が喜ぶような英雄への讃辞は控えつつ、知識層と共有できる名物教師の肖像にはさりげなく敬愛をこめた。
こう考えると、京大で河上肇からマルクスを学び、初の渡航時に西園寺公望から不行跡を咎められた話など、本書が典拠の著名な逸話も、真意を様々に想像させる。
確かに、読めば改めて面白い。やはり、青年貴族は文士になれば良かったのだ。だが、時代と周囲と、本人の壮気が、そうさせなかった。
しかもその壮気は、しばしば批評に留まった。
頻繁に登場する名前に、ウィルソン大統領の外交ブレーンだった、ハウスがいる。2度目の渡航時に面談した米国要人の一人(1934年。この時、ハルにもルーズベルトにも会っている!)。そのハウスの所に、中国人は1日置きに面談に来るが、日本人は全然来ない現実を伝え、「日本の宣伝不備」を、鋭く指摘している。
日本が国際連盟脱退を表明した翌年であり、こんな時こそ非公式でも積極的な接触が必要であったのにと、今の我々は思う。ニューヨークに日本理解のためのライブラリーを作りたいとも記している。が、現実はどうだったか。鋭い論評と鈍い行動。
自分を「アウト・サイダーの常識的見解」と韜晦する姿勢。文弱の貴族の感傷旅行なら、笑ってすませる。だが、文麿には当時すでに待望論があった。それにもかかわらず、こうした発言が出る。そこに文麿らしさが、あまりも滲み出ている。
少し、私事を許されたい。高い鼻梁、仰ぎ見る長身……《その人》は、両親の商売の恩人であった。東京大学史料編纂所教授であったから、「先生」と呼ぶのが適切ではあったが、父も母も「さん」で呼んでいた。確かに「先生」の語感は、畏敬と親愛が混じり合った《その人》への気分にそぐわない感じを、子どもの自分も抱いていた。
《その人》は京都からの帰り、よく我が家に寄って酒を飲んだ。たびたび、土産の蕎麦ぼうろをご馳走になった。快活な笑顔、鋭い眼光。「勉強してます?」が口癖。
ある時、教科書で「戦争責任を問われ自殺した、元摂関家の直系の子孫」の名を知った。驚いた自分に、両親は《その人》は次男だと教えた。荻窪に「御後室様」から招かれた話も聞かされた。苛酷な戦争の史実を独習するにつれ、訊きたいことが次々と生じたが、ためらううちに歳月が過ぎた。
徴兵され国民党軍を「対手」に戦わされた父も、学校に行けず勤労奉仕させられた母も、元首相・公爵の次男に対し、陰日向なく礼を尽くした。
特に母は、悪いのは軍人であり、《その人》の父は騙されたのだと説いた。もし当時「ノブレス・オブリージュ」という言葉を知っていたら、殴られても、母にその意味を突きつけただろう。
《その人》の逝去は2011年である。小部屋に《その人》は横臥していた。高い鼻梁。何かで見た自殺直後の文麿の顔が、重なった。とっくに亡くなった母と病身の父に代わり、深く黙礼した。
《その人》を送ったこの荻窪の家は、もうない。今年になって一部は公園になった。文麿が「清談」ならぬ「政談」を重ねた昭和史の舞台は、もはやない。
思えば、本書が編まれた頃の文麿は、《その人》が自分に蕎麦ぼうろをくれた頃と、ほぼ同じ年恰好だ。最近耳にしない言葉でいえば「男ざかり」。男子最良の季節。
ただし、である。「男ざかり」はそれに相応しい男にしか訪れない。そして「男ざかり」に関わるのは、真にその人に心酔した人だけでよい。
かりにも、あなたの心酔を周りに広めてはならない。心酔せず、激昂もせず、醒めた目で読むべし。
そうすれば、本書のあやうい文藻の数々は、「男ざかり」にあった責任者が難局に向かって本当は何を考え、何を言うべきだったか、何を言うべきではなかったかを教える、いま現在の好読物となるだろう。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください