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 『絶歌』において、Aが殺人にいたる経緯の記述は、2部構成の本書(約290頁)の第一部の前半でヤマ場を迎える。

 そこでは、Aの関東医療少年院送致を言い渡した、元神戸家裁少年部判事・井垣康弘による「家裁審判<決定>全文」(「文藝春秋」2015年5月号所収)には記載されていないことも、「重大な秘密」として打ち明けられる。

 すなわち、猫を殺し解剖する行為によって、射精をともなう性的興奮・快感を得る――いわゆる性的サディズムの発症――以前に、すでに最愛の祖母の死後まもなく、祖母の使っていた電気按摩器(でんきあんまき)で自慰を初体験したことを、Aは克明だが少々気負った、高揚した語調で――「文学的」な表現をまじえて――、こう書く。

 「僕は、本当はナメクジやカエルを解剖し始める前に、精通を経験した。そのことだけは死ぬまで誰にも話さないつもりだった。でもこうして祖母のことを思い返しているうち、このエピソードを省いて自らの物語を語る意味などないように思えた。/罪悪とはマトリョ―シカ人形のようなもの、どんなに大きな罪も、その下にはひとまわり小さな罪が隠され、その下にはさらにもうひとまわり小さな罪が隠され、それが幾重(いくえ)にも重なった「入れ子構造」になっている。僕が抱える“罪悪のマトリョ―シカ”のいちばん奥に隠された小さな小さな罪の原型を、ここに懺悔(ざんげ)したい」(46頁)。

 たしかにここには、「最奥(さいおう)の秘密」を告白するに際しての、やや大仰な「文学的」レトリックが過剰だ(Aの愛読した三島由紀夫の装飾的な文体を模倣したようなマトリョーシカ人形の喩えは、「若書き」特有のペダンチック(衒学的)なものとはいえ、なかなか善戦しているが)。

三島由紀夫拡大三島由紀夫
 ちなみに、Aが人生のバイブルだと仰ぐ三島の『金閣寺』にも、主人公=話者の「私」が、金閣の中に飾られた金閣の模型を見て、その模型の中にさらに小さい精巧な金閣と、本物の金閣よりも無限に大きい金閣が多層的な<入れ子状>になっているさまを夢想する箇所がある<新潮文庫版、33~34頁>)。

 ともあれ、本書を「自己陶酔的な私小説」と批判し、もっと精度の高い・内省を深めた手記に書き直せ、と

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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