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佐野研二郎氏「疑惑」は、日本の劣化の象徴だ

「デザイン大国」でなぜ失敗が続くのか

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 今回の東京オリンピックのエンブレム問題が起きた時、いろいろな意味で昔ならありえないなと思った。

 この問題は単なるデザイナーのパクリ疑惑を超えて、21世紀前半の日本を象徴していると言えるかもしれない。かつて日本は「デザイン大国」と呼ばれたが、ボランティア用ユニフォームの不人気や国立競技場建築問題を合わせて考えると、それが終わったことがはっきりした。

 デザイナーが社会を牽引する存在だった時代があった。前回の1964年の東京オリンピックでは、亀倉雄策が簡潔で力強いロゴと躍動的な写真を使ったポスターで注目を浴び、丹下健三は今見ても優美な国立代々木競技場で世界に名を馳せた。会場の案内標識は、杉浦康平、田中一光、粟津潔などの新進デザイナーが担当した。

 その後日本では、大きなイベントや新しい公共施設には丹下を始めとしてその弟子筋の黒川紀章や槇文彦など若手建築家が参加し、そのロゴやポスターには若手デザイナーが次々と参加した。グラフィックや建築のデザインが、日本の高度成長期のシンボルとして先頭を走っていたとも言えるだろう。

 1970年代からは三宅一生や川久保玲、山本耀司などのファッションデザイナーがパリを中心に世界で活躍を始めた。20世紀後半の日本は、まぎれもなく世界一の「デザイン大国」だった。

東京五輪ボランティア拡大東京オリンピックのボランティアのユニフォームも酷評された
 ところが今回のオリンピックでは、得意なはずのデザインで失敗が続いた。

 まずボランティアのユニフォームはおおかたの日本人には悪い冗談にしか見えなかった。

 国立競技場の建築には、ザハ・ハディッドというロンドン在住の有名建築家を選んだが、彼女はコスト高は日本の問題で自分は関係ないと説明し、選んだ側の委員長の安藤忠雄は「なぜこんなに高いのか自分にもわからない」と言い放った。

デザイナーの社会的意識は?

 そしてエンブレムのデザイナーにはパクリ疑惑が続々と出てきた。

 ユニフォームも国立競技場もエンブレムもそれぞれの失敗の理由は別だけれど、共通しているのは、デザインする側の

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筆者

古賀太

古賀太(こが・ふとし) 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

1961年生まれ。国際交流基金勤務後、朝日新聞社の文化事業部企画委員や文化部記者を経て、2009年より日本大学芸術学部映画学科教授。専門は映画史と映画ビジネス。訳書に『魔術師メリエス――映画の世紀を開いたわが祖父の生涯』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著、フィルムアート社)、共著に『日本映画史叢書15 日本映画の誕生』(岩本憲児編、森話社)など。個人ブログ「そして、人生も映画も続く」をほぼ毎日更新中。http://images2.cocolog-nifty.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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