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[4]業界の申し子、レスキュール会長

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 さて今年2015年からは、ティエリー・フレモーとタッグを組むべく、ピエール・レスキュールという人物が新しくカンヌ映画祭に加わり、ジル・ジャコブの後継者として会長職に就任している。

 なぜジャコブが手取り足とり10年以上にもわたって育ててきたフレモーだけではダメなのかというと、カンヌ映画祭が「アソシアシオン」と呼ばれる非営利組織の形態をとっていることが関係あるだろう。この非営利組織に関する「1901年法」に基づくアソシアシオンには、基本的に会長職の椅子がある。

 それにそもそもフランスは、大統領と首相の二大巨頭の国。大統領の方が権力は大きいとはいえ、ふたりの人物がトップに就くことで、権力の暴走を監視できるという利点がある。この考え方はカンヌ映画祭でも共有されているのではと思う。

ピエール・レスキュール© ATG - Olivier VIGERIEピエール・レスキュール  © ATG - Olivier VIGERIE
 というわけでフレモーは、ジル・ジャコブの後継者となる「会長」という名の相棒が、急きょ必要となったのだ。

 大きな鼻がトレードマークのピエール・レスキュールは、フレモーとは対照的な人物だろう。

 1945年生まれでこの夏に70歳になった彼は、どちらかというと裏方志向でストイックなフレモーと異なり、華やかで野心的、本人も半分スターであると言えそうな業界の申し子である。

 彼は60年代からラジオやテレビでジャーナリストとして頭角を現し、とりわけ公共のテレビ局アンテンヌ2(現フランス2局)のポップカルチャー紹介番組「ロックの子供たち」で評判をとった。83年には有料テレビ局カナル・プリュスの創設メンバーに加わる。

 このカナル・プリュスは、自局のプログラムで放映ができる映画作品に積極的に出資をする局であるため、フランス映画にとっては最大の製作パートナーとなった。レスキュールはここで、映画業界と近しい関係を築くことができただろう。

 94年には同社の社長に就任。彼が肩で風切る勢いだった80年代前半から90年代前半にかけては、カトリーヌ・ドヌーヴと付き合っていたことでも有名だ。

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