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[4]性的サディズムを疑問視する挑戦的一文

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回まず取り上げたいのは、前々回も触れた、祖母の死後、Aが自分の「秘密」を打ち明ける箇所の直前の記述である(第一部)。

「元少年A」の手記「絶歌」「元少年A」の手記『絶歌』
 それは興味深いことに、Aが「性的サディズム」などの、もろもろの精神医学的なコンセプトや、それらによる“明快な解釈”を疑問視し、暗にそれらを否定しているかにも思われる文章だ。

 つまり、ある人々にとっては、不快で不敵で挑発的な文章にも読める記述である。

 またそこには、前々回引いた箇所にも見られた、読者の好奇心を巧みにくすぐるような、文章上の工夫もなされている(<「僕」が「あなた」にだけ極秘に打ち明ける>、という<僕→あなた>形式の告白体の使用)。

 ――あなたはこれから神父になる。/そして僕はこれから、精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることができず、二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞い込んできた自らの“原罪”ともいえる体験を、あなたに語ろうと思う。/僕や、僕の引き起こした事件を最も特色付けているのが、“性的サディズム”というキーワードだ。それは、僕にとっていちばん他人に触れられたくない、「自分は他人と違い異常だ」という劣等感の源泉でもある。/精神鑑定書には次のように書かれている。<未分化な性衝動と攻撃性との結合により持続的かつ強固なサディズムがかねて成立しており、本件非行の重要な要因となった。>

 [以下Aによる鑑定書の言い換え]最愛の祖母の死をきっかけに、「死とは何か」という問いに取り憑(つ)かれ、死の正体を解明しようとナメクジやカエルを解剖し始める[この「死の解明」という目的についても、A自身は前回引いた『絶歌』の一節で、「もっともらしい大義名分」であったと書かれていた]。

 やがて解剖の対象を猫に切り換えた時にたまたま性の萌芽が重なり、ネコを殺す際に精通を経験する。それを契機に猫の嗜虐的殺害が性的興奮と結び付き、殺害の対象を猫から人間にエスカレートさせ、事件に至る(45頁)。

 さらにAはこう書く。

 「[そうした性的サディズムという診断は」実に明快だと思う。ひとかけらの疑問も差し挟む余地がない。しかしどうだろう? もしもあなたが、多少なりとも人間のメカニズムに興味を持ち、物事を注意深く観察する人であるなら、このあまりにもすんなり「なるほどそういうことか」と納得してしまう、“絵に描いたような異常快楽殺人者のプロフィール”に違和感を覚えたりはしないだろうか?(……)事件当時僕は十四歳だった。仮にいくら異常な素質があったのだとしても、年端もいかぬ少年の「攻撃性」と「性衝動」が、そんなに簡単に、ほとんど成り行きのようにあっさり「結合」してしまっていいものだろうか?」(45~46頁)。

 このようにAは、彼に下された<性的サディズム>という診断が、社会の側からの都合のよい間に合わせの解釈にすぎないのでは、と問いかける。

 いや、問いかけるという以上に、彼はそうした診断が的外れであることを、暗に主張しているとも読める文章だ。

 もっといえば、Aはこの一文で、自らの精神的・身体的メカニズムは、「性的サディズム」といった既成の精神医学用語ではとらえ切れない、複雑にねじくれた奥深いものだと示唆している。

 さらにAは、メディアや研究者が作り上げた「異常快楽殺人者のプロフィール」を、

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