2015年09月07日
カンヌ映画祭が終わってずいぶん経つので本連載を続けるのも肩身が狭くないわけでもないが、淡々と続けてみたい。ようやくではあるが、今年のカンヌ映画祭を具体的に振り返ってみることにしよう。
まずは総合ディレクター、ティエリー・フレモーの仕事から。
彼は2004年から実質的に作品選定を担ってきたが、それでも2014年までは背後にカンヌの育ての親ジル・ジャコブの影が見え隠れしていたと思う。
しかし黒幕が完全に去った今年は、圧力から完全に解放されたのか、より自由で挑戦的なセレクションの跡が伺えるのである。
まずジャコブがカンヌにいた時なら、おそらくはコンペティション部門に無条件で選ばれていたような監督たちが、容赦なく外されていたのが印象深い。
その筆頭がアルノー・デプレシャン、河瀨直美、アピチャッポン・ウィーラセタクンだろうか。彼らのコンペ落選は、多くのジャーナリストに驚きを持って受け止められていた。
フランス人監督アルノー・デプレシャンとジル・ジャコブの関係は深く濃い。彼の初長編作品『魂を救え!』は、1992年にジャコブの鶴の一声で、「初長編作品ながらいきなりコンペ入り」という異例の扱いを受けた。
そしてその後も、彼の作品はコンスタントにコンペ入りを果たしてきたのである。ラジオのインタビューで本人も、「ジャコブの厚情が私の人生を変えた」と認めている。本人もまさか、今年コンペから外されるとは想定外だったと思う。
しかし結果は落選。結局、並行部門である監督週間からのカンヌ参加となった。
監督週間は、厳密にはカンヌ映画祭の「外」の団体が運営するライバル部門であり、このようにカンヌで落ちた作品が流れることが多々ある。
デプレシャンと同様に、ジャコブのお気に入りである河瀨直美とアピチャッポン・ウィーラセタクンは、コンペ部門の二軍リーグとも言える「ある視点部門」に流れていった。
フレモーによると、「ふたりには
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