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  Aは本書の第一部で、神戸少年鑑別所で彼の精神鑑定を行なった鑑定医(精神分析医)の一人を、「ワトソン」という仮名で呼びつつ、この40代後半くらいの男性について、それまで関わった児童相談書の職員や刑事とも、明らかに異質なオーラを放つ「精神狩猟者(マインド・ハンター)」だと形容し、こう自己物語を紡いでいく。

 優れた精神分析医は狩猟者(ハンター)だ。患者の精神のジャングルの奥深くに逃げ込んだ本性(ケモノ)の足跡を辿り、逃げ道を先回りし、さまざまな言葉のトラップを用いて、根気強く、注意深く、じわりじわりと追いつめていく。(……)ワトソンの眼は、まるでこちらの言葉の裏にある本性を見透かしているようで、不気味だった。/鑑定に一切協力せず、ダンマリを決め込むこともできた。だが僕は、未だかつて遭遇したことのないタイプの“強敵”を目の当たりにし、心が震えた。武者震いだった。恐怖心は一瞬にして闘志へと挿(す)げ替った。/隠したいことは隠したまま、それまでせっせと溜めこんだ異常快楽殺人のマニアックな知識を総動員して、自分が思い描くとおりの「異常快楽殺人者」のイメージ像をこの人に植え付けたい衝動に駆られた。(131~132頁)

事件のあった通称「タンク山」と周辺の住宅団地=2011拡大事件のあった通称「タンク山」と周辺の住宅団地=2007年
 読んでのとおり、ここでは精神科医「ワトソン」が猟師ないしは探偵に、自分=Aが獲物ないしは犯人に見立てられている。

 こうした設定自体は、サイコ・スリラー系の小説、映画、その他のサブカルチャーによく見られるものだ。

 しかし、とにもかくにも、自分をハンター/精神科医に狩られる獲物/患者(そしてハンターの好敵手)として場面を構成していくAの文章は、粗削りながらも、緊迫感があり、読ませる力がある(この程度の文章のエンタメ小説は腐るほどある。村上春樹の文章だって、このAの一文に毛の生えた程度のものも多い)。

 また、先の引用箇所(45~46頁)と同様、Aも読み漁ったという数々の猟奇殺人本における「異常快楽殺人者」像を、いかにもそれらしい「イメージ」としてとらえ、それらをワトソンとの頭脳戦=ゲームに勝つために利用しようとする知性(狡知?)が感じられる。

 そして、このあと、いささか読書記憶がベタに出てしまっている、例のブッキッシュ/他人の著作の受け売り的な、「情報化社会論」などが続くが(132~133頁)、やがてハッとするようなことが書かれる――「(……)ワトソンはいきなりこんな質問をした。「(……)君はマスターベーションの時にどんなことをイメージするの?」/彼はのっけから核心に斬り込んだ。僕は動揺しまくった。なぜだ? なぜわかったんだ?」(133頁)。

 これに続くユニークな「快楽論」 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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