2015年09月08日
Aは本書の第一部で、神戸少年鑑別所で彼の精神鑑定を行なった鑑定医(精神分析医)の一人を、「ワトソン」という仮名で呼びつつ、この40代後半くらいの男性について、それまで関わった児童相談書の職員や刑事とも、明らかに異質なオーラを放つ「精神狩猟者(マインド・ハンター)」だと形容し、こう自己物語を紡いでいく。
優れた精神分析医は狩猟者(ハンター)だ。患者の精神のジャングルの奥深くに逃げ込んだ本性(ケモノ)の足跡を辿り、逃げ道を先回りし、さまざまな言葉のトラップを用いて、根気強く、注意深く、じわりじわりと追いつめていく。(……)ワトソンの眼は、まるでこちらの言葉の裏にある本性を見透かしているようで、不気味だった。/鑑定に一切協力せず、ダンマリを決め込むこともできた。だが僕は、未だかつて遭遇したことのないタイプの“強敵”を目の当たりにし、心が震えた。武者震いだった。恐怖心は一瞬にして闘志へと挿(す)げ替った。/隠したいことは隠したまま、それまでせっせと溜めこんだ異常快楽殺人のマニアックな知識を総動員して、自分が思い描くとおりの「異常快楽殺人者」のイメージ像をこの人に植え付けたい衝動に駆られた。(131~132頁)
こうした設定自体は、サイコ・スリラー系の小説、映画、その他のサブカルチャーによく見られるものだ。
しかし、とにもかくにも、自分をハンター/精神科医に狩られる獲物/患者(そしてハンターの好敵手)として場面を構成していくAの文章は、粗削りながらも、緊迫感があり、読ませる力がある(この程度の文章のエンタメ小説は腐るほどある。村上春樹の文章だって、このAの一文に毛の生えた程度のものも多い)。
また、先の引用箇所(45~46頁)と同様、Aも読み漁ったという数々の猟奇殺人本における「異常快楽殺人者」像を、いかにもそれらしい「イメージ」としてとらえ、それらをワトソンとの頭脳戦=ゲームに勝つために利用しようとする知性(狡知?)が感じられる。
そして、このあと、いささか読書記憶がベタに出てしまっている、例のブッキッシュ/他人の著作の受け売り的な、「情報化社会論」などが続くが(132~133頁)、やがてハッとするようなことが書かれる――「(……)ワトソンはいきなりこんな質問をした。「(……)君はマスターベーションの時にどんなことをイメージするの?」/彼はのっけから核心に斬り込んだ。僕は動揺しまくった。なぜだ? なぜわかったんだ?」(133頁)。
これに続くユニークな「快楽論」
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください